【舞台】Equal

2020.9.28(Mon)
Equal
小林亮太 × 田中亨 回

配信で観劇しました。
感想と思いついたことをつらつらと。

あらすじ

幼馴染のテオとニコラ。
肺の病を患うニコラのために、医師であるテオは錬金術で「不老不死」を実現させようとするが、徐々に二人の言動に歪みが生じ始めてーーー。

感想と雑記(ネタバレあり)

創世記になぞらえて、月曜日から日曜日の7日間で物語が展開。
曜日が変わるたびに、テオ役とニコラ役が入れ替わります。

向かい合うように置かれた机と椅子。
テオ側の椅子には、背もたれに白衣。
真ん中に、もうひとつの椅子。

亨くんのペアが、亮太くんじゃなければいけなかった意味。最初は、年も同じで、自然と親友に見える2人であるからと思っていたけど、半ばで違和感に気づき始め、更に物語が混沌としていくうちに、とーるくんがインスタライブで言っていた「空気感が似ている」という表現が頭によぎる。

- 僕と君とは、イコールだ -
2人は、同一で無ければいけなかった。

ニコラは既に亡くなっており、自らも肺の病を患ってしまったテオは、自分が死んだ後も研究が続くように、自らのホムンクルスを生み出す。血を媒介にした関係。
最初はテオとしての記憶が朧げだったホムンクルスに、ニコラとして振る舞いながら記憶を定着させることで、「テオ」としての自我を確立させていく。

君は誰だ
僕は誰だ
君はテオだよ、僕が保証する
君はテオ・ホーエンハイム
ねぇ、ニコラ、君は誰なんだ
僕はテオだ。テオ・ホーエンハイム
僕もテオで、君もテオだ

何度も確かめられる「テオ」という存在。
ニコラの妹のオデットの話。
診療所のアドリエーヌさんの話。
パン屋のマリエッタの話。
何度も何度も、同じ記憶を繰り返すことで、定着が進む。

人の存在なんて、そんな、「意識」や「記憶」によって成り立ってるのかもしれないなぁ、なんてことを思う。

同じ話題のリピートの中に生まれる、マリエッタが殺害されたという歪み。
マリエッタが、テオの異質さに気づいたのではと危ぶんだ一方のテオが、マリエッタを殺害していた。

感情の激しい発露。

最後は、お互いにナイフで刺し合い、生き残った方が自首をしようと向かい合ったところで、暗転。
暗闇の中から聞こえる笑い声と、「マリエッタさん、きっと怒るだろうな」というとーるくん(ニコラ役テオ?)の声。

2人のキャスト、曜日ごとに役が入れ替わっていたけれど、それは本当にキャストとして入れ替わっていたのかな。本当に片方は人間としてのテオかもしれないし、もしかしたら既にテオも亡くなっていて、2人ともホムンクルスなのかもしれない。
昨日、テオだったホムンクルスは、新たなホムンクルスを生み出し、今日、彼の前でニコラとして振る舞う。
そんな循環が起きていたりしないんだろうか。

冒頭、出てきたときに、ニコラ役のとーるくんは真ん中の椅子、テオが座る椅子をゆっくりと見つめてから、ニコラが座る椅子についた。昨日は自分が、そちらに座っていたから?
テオ役の亮太くんは、出てきて少し伸びをしてから、まっすぐテオの椅子に座る。このときの亮太くんのテオは、生み出されたばかりのような印象。

若い2人だからこその、揺らぎや危うさがリアルに感じられて、とても繊細な物語が組み上がっていました

テオは自分のホムンクルスと向き合い続けて、正常で居られたのかな。
「君にわからないなら、僕にわかるはずがない」
一番わかりあえる存在だけど、それ以上にはならない。自分の弱いところも、常に目の前に突きつけられる。
気がおかしくなりそう。

これからも永遠に、テオのホムンクルスは自分自身を生み出し続けるんだろうか。

亮太くんを見るのはうさちゃん以来だったので、「抜群に頭が良くてかわいい子」という印象からアップデートされて無かったけど、想像以上に上手くてビックリしました。
頭の良さは更に研ぎ澄まされたなと感じたし、だからこそ、クレバーな悪役姿も見てみたい。

とーるくんは、朗読劇という身体表現より声に集中できる形態だと、低くてやわらかい声の心地よさが更に引き立つなと。こんなに魅力的な声なんだなって改めて感じたし、台詞の聞きやすさにも驚きました。
今まで割と淡々としている役が多かった気がするので、あれだけ声を荒らげて感情を大きく動かす姿があんまり印象になかったし、そんな姿が見られて嬉しかった。だけど、表情の微かな動きがあいかわらず繊細でとても好きです。

この2人でしかつくれないEqual。
堪能させていただきました。

これを観たら、フランケンシュタインが観たくなった。

つくる者と、つくられる者。
「親友」を思うゆえの禁忌の動機。

でも、親友の遺体を材料に怪物を生み出したあげくに捨てたビクターに比べれば、親友を不老不死にすることを諦めて自らのホムンクルスを生み出し、ともに生活をしている(まともな人格も与えられた)テオの方が、まだ倫理観が残っているのかなぁ。

「君は良くできたやつだ」なんて、満足げに、悲しげに、ビクターも言う世界があったのかも、なんて。

亮太くんととーるくんでフランケンをやるとしたら、亮太ビクター・亨アンリかなぁ。

いや、絶対観たいじゃん、それ。

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