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病気発覚

幼少期から早朝によく頭痛と吐き気があった。

その時必ず左手の感覚が鈍かった。

鈍いという表現になってしまうが、

思うように動かせないし、力も入らない。

人間ドックで全身調べたら必ず病気が見つかる

とずっと思っていた。

友達に思い切り叩いてもらっても痛くない。

あとから思えばそれが発作だった。

頭痛と吐き気、左手の感覚麻痺は繰り返され

高校2年生の時入院することになった。

病名は『脳動静脈奇形』

病名がわかった時それまでの人生で一番泣い

た。先生から説明を聞く為、朝病院から連絡が

あったらしく母も病院に駆けつけ一緒に

説明を受けた。

『私死ぬんですか』と泣きながら聞いたのを覚

えてる。

そんな時でさえ母は『ショック?』

と私に聞いてきた。

母親なら娘に病気が分かったら悲しくないのか

と思うけど、さすが愛情のない母は違った。

ここまでくるとアッパレ。

血の繋がりのある親子であることが不思議だっ

た。

精密検査をしてより詳しく病気を調べ後日

両親と私の3人で先生から病気の説明を受け

た。17歳の私には辛い結果だった。

『脳動静脈奇形。奇形が大きすぎて手術が

出来ません。発作を抑える為に薬を飲んで

体調を整えるしか出来ることはないです。』

この時生まれて初めて父の涙を見た。

私は不安しかなく泣きすぎて頭が痛かった。

何も考えられない私とは違い、この時

女性として子供を産むことは出来るか

父は先生に聞いていたらしい。

答えはNO。

妊娠すると血流が変わり出血の危険性が

増すので子供は産めません。

それが先生の答えだった。

父は自分を責めたらしい。

私は自分が子供を作れないことを何年もあとに

知ることになるが父は一人ずっと苦しんでい

た。母はケロッとしていた。さすがです。


#脳動静脈奇形

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