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「李陵」再読しました。

中島敦ファンは今でも多いと思います。
教科書で「山月記」を読み、その芸術性と読者の心、特に若者の感性に刺さってくる感じはインパクトが強かったと思います。
 そこから他の作品も読んでいくわけですが、その中で最も自我を揺さぶられ、好きになったのが遺作である「李陵」でした。
 生前は評価されず夭逝し、死後その作品を世に知らしめるべきという周囲の働きかけで教科書に多く掲載されたことで、世に広く知られるようになったというエピソードを含めて、強く心に残りました。初めて読んでから半世紀近く経っても、たまに読み返したい名作です。
 紀元前の漢の武帝の時代の実在の人物、武将の李陵と蘇武、文部官僚の司馬遷を主な登場人物として描かれていますが、肝は二人の武将の精神性、生き方の違いが運命を過酷に分ける。「天は見ている」という点にあると思います。
 共に武将として匈奴と勇敢に闘い、敵方に多くの犠牲を与えながら、運悪く捕虜となってしまいます。捕虜となった後、一切の懐柔を拒絶し、生き延びることに全く執着しない蘇武と、敵の君主(単于)から人間性、能力を高く評価され、地位提供や娘との結婚を促されながら、祖国・武帝の忠誠心と妻子への愛情から拒否していたが、祖国での誤解から一族が処刑されたことから、徐々に匈奴側の人間へと変わっていった李陵、要は理を重視した李陵と魂、精神を重視した蘇武との対比になります。
 私も含めて、ほとんどの人(特に日本人?)はやるべきことをやった李陵に自身を投影して否定はしないのではないでしょうか。李陵自体は祖国ではもともと信頼されている人物で、誤解がなければ武帝も一族を滅ぼしていないでしょうし、人格を良く知る司馬遷が自己を犠牲(宮刑に処せられる)してまで擁護した程でしたが、運命は過酷に展開し、蘇武は約20年の捕虜生活の後、忠義を尽くした臣として祖国に英雄として帰還する一方、李陵は裏切り者として帰国出来ず、消息不明のまま終わります。
※単于の娘との子が、後世の単于争いに乗り出すが敗れて処刑される。
 このストーリーは人が見ていなくても信義を通すことの意義、それが理よりも人間にとって価値のあることを示唆しており、生きることの意味を問うてくる怖さを感じます。

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