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れいわ新選組にみる日本版ポピュリズム


たまたまNHKにて、れいわ新選組の山本太郎さんの政見放送を拝見しました。拝見する中で、なぜ支持層が増えているのかという一因が理解出来ました。

簡単な時代背景として、今の若者は文脈を読むリテラシーが欠落しているため、言いたい事を短時間に詰め込み相手に伝えなくてはならず早口になる傾向が強くあります。山本さんはその象徴的な存在かもしれません。

私個人が山本さんに見る率直な感想として、頭の良さは感じるのですが、奥行きがなく、残念ながら私は期待値を感じません。失礼ながら、プーリング層と叩き込み層が1階層しかないような印象を受けます。シングルコアのCPUを、高速回転させているような感じです。やはりCPUは8コアくらいありませんと、不確実性に対しての余裕がなく、直ぐにフリーズすることになります。

なぜ私は、プーリング層と叩き込み層が1階層しかないような人に感じるのか?それは、知識と知恵の違いに理由があるのかもしれません。

知識とは、答えのある問題に対して既に存在する答えを暗記して、必要な時に記憶から素早く引き出す力であり、知恵とは、答えのない問題に対してこれまで身に付けた知識を活用して、これまで存在しなかった答えを生み出す力であると私は考えています。

失礼ながら山本さんに限らず、プーリング層と叩き込み層が1階層しかないように感じる人たちは、知識はあるが知恵がない人たちなのかもしれません。

補足を加えますと、知識型の人間に答えのない問題を質問した場合は、自分の独自の答えを言いません。嫌、答えられません。しかし、「分かりません」とは決して言いません。その為に、そもそもの質問の答えからはかけ離れた別の知識を並べ始め質問を忘れさせたり、更に酷い場合では「なぜ、そんな事を聞くのか?」と質問した側に問題があるかのように振舞うこともあります。

知識型と知恵型の具体的なイメージとしては、将棋の羽生善治さんが好例と言えます。羽生さんが18歳の時は知識型でしたが、現在の19世名人は知恵型であると言えます。19世名人を、15世名人の大山康晴さんと置き換えても同じです。18歳当時の羽生さんは知識型であり定石を丸暗記することで前人未到の勝利を重ねていましたが、今の知恵型の19世名人は手を読まない領域にまで達しています。

翻って、今回選挙に参加する若者たちには、中国古典にある次の3つの言葉を理解して貰った上で、自らの目と自らの頭で自分たちの未来を決めて貰いたいと切に願うばかりです。

『君子は言に訥(とつ)にして、行に敏(びん)ならんと欲す』(論語)
君子は言葉がゆったりして慎み深くても、素早く実行しなくてはならない、という意味です。言葉がゆったりして慎み深くということは、言葉を少なくするということでもあり、行に敏とは牛歩とは正反対の行動です。
『古者(こしゃ)、言(げん)をこれ出(いだ)さざるは、躬(み)の逮(およ)ばざるを恥じてなり。』(論語)
昔の君子が軽々しく言葉を出さなかったのは、自分の行いがそれに及ばないことを恥じてのことである、という意味です。

最後に、中国の明代の著名な思想家である呂新吾は、政治のあり方を説いた著書「呻吟語(しんぎんご)』の中で、次のような言葉を述べています。

『深沈厚重なるは是れ第一等の資質。聡明才弁なるは是れ第三等の資質。』(呻吟語)
つまりは、リーダーとして一番重要な資質とは、常に深く物事を考える重厚な性格を持つ人格者であるべきだ。頭が良くて才能があり、弁舌が立つことは、リーダとしての三番目の資質でしかない、という意味です。

ちなみに、余談になりますが、第二等の資質は、磊落豪遊(らいらくごうゆう) です。

なぜ私は、プーリング層と叩き込み層が1階層しかないような人に感じるのかについては先述させて頂きましたが、では政権放送にみるファクトに対して、具体的にどこがそのように感じるのかについても加えさせて頂きます。

「国会のバリアフリー化」とは、とても聞こえが良い問題提起です。しかし、障害を抱えている立場の人が本当に望んでいるバリアフリー化すべきところは、国会なのでしょうか?仮にお金をかけて国会をバリアフリー化して、それを利用する人は何人ですか?具体的には誰がメリットを受けとるのでしょうか? 

仮に国会をバリアフリー化するならば、メディア受けするように過剰な対応をすることになるでしょう。私がそう言うと、物理的なバリアフリーが目的ではなく国会議員の意識を高めることが目的であると反論するかもしれません。

ならば、目的を国会議員の意識を高める為とします。では、国会議員のバリアフリーの意識を高める為の方法として、利用者の少ない国会内を物理的にバリアフリー化することが最適な手段であると言えるのでしょうか?私はここに知恵がないと言っているのです。

では、私からの問題です!

Questions.
 『 1+X=2』
Xに当てはまる答えを考えてください。

答えは、「1」。

…だけではありません。

「0.5+0.5」
「0.1+0.2+0.3+0.4」
「100-50-48-1」
「100×1÷10-9」
などなど。

「1」は答えを暗記するだけで答えられます。しかし、その他の答えは自分の知識を活かした上で思考力を使うことが出来ないと答えられません。この後者の知識を活かした上で自分の思考力を使った答えこそが、その人自身の答えであり、その人らしさが反映されます。その人らしさとは、その人の考え方や、その人がこれまでどのように生きてきたのかということです。

更に政権放送にみるファクトにある違和感を加えるならば、障害者のカテゴライズにも疑問を感じます。一部の障害者を全ての障害者の代表扱いするのは、明らかに間違っており根本的な問題解決には繋がりません。障害者の方たちと実際に接すると分かりますが、障害者だからといって全ての障害者をサポートする必要はありません。

私は障害者の中にも、気に食わないヤツらが沢山います。腹立たしさを覚えるヤツらがいます。日本のテロリストである麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚も障害者の一人でした。他方で、サポートをしたくなるような障害者の方たちも沢山います。

そもそも障害者を自分よりも劣っている人だから助けなければいけないと考えるのか、はたまた、障害はその人の個性であると考えるかの違いであるとも言えます。


※こちらは2019年7月15日(月)のnakayanさんのtwitterでの連続ツイートを読みやすいように補足・修正を加え再編集したものです。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp 


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