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心を磨き融通無碍となる

松下幸之助 一日一話
10月 4日 心を磨く

人間の心というものは、ほんとうに自由自在なものだと思います。何か困難な問題が起こったとしても、心の働きによっていかようにでも考えられると思うのです。もう辛抱できない、あしたにでも自殺したいという場合でも、考え方を変えるならば、一転して、あたかもひろびろとした大海をゆくがごとき悠々とした心境に転回することさえできるのです。それが人間の心の働きというものでしょう。

ですからわれわれは、これから仕事をするに当たって、まず心を磨くというか、ものの考え方を成長させる必要があります。そういう心の働きに、今まで得た知識を加えてやっていけば、必ず大きな成果が生まれると思います。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

四書五経の一つである易経には次のような言葉があります。

「窮(きゅう)すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず」(易経)

松下翁の言葉を借りて訳をつけるならば、もう辛抱できない、あしたにでも自殺したいという場合でも、考え方を変えるならば、一転して、あたかもひろびろとした大海をゆくがごとき悠々とした心境に転回することさえできるという意味になります。

更に、論語にて孔子は次のような言葉を残しています。

「君子固(もと)より窮す、小人窮すれば斯(ここ)に濫(らん)す」(論語)

教育や学問を優先している君子であろうとも、必ずしも窮することがない訳ではない。君子は窮したとして小人のように取り乱すことはないのであるという意味です。

准南子には、

「人間(じんかん)万事(ばんじ)塞翁(さいおう)が馬」(准南子)

とあります。人生の禍福は転々として予測できないという意味です。

史記には、

「禍福は糾(あざな)える縄の如し」(史記)

とあり、同じ意味になります。

つまりは、君子であろとも人生の禍福は転々として予測できない訳です。では、なぜ君子は小人と異なり窮した際に取り乱すことがないでしょうか。一つは前述した易経のように考え方を変ずることができることにあるのでしょう。加えて、荀子には次のようにあります。

「夫(そ)れ学は通の為に非ざるなり。窮して困しまず、憂えて意衰えざるが為なり。禍福終始を知って 惑わざるが為なり。」(荀子)

学問というものは、立身出世や生活の手段ではなく、どんなに窮しても苦しまず、どんな憂いがあっても心衰えず、何が禍で何が福か、その因果の法則を知り、人生の複雑な問題に直面しても、敢えて惑わないためのものである、という意味です。

中国古典においては、学問により考え方を成長させていくことを説いていますが、松下翁は仕事を通して、心を磨く、或いは、考え方を成長させることを説いています。これと同様に、稲盛和夫さんもまた、仕事を通して心を磨くということに関して、以下のように述べています。

…一つのことに打ち込んできた人、一生懸命に働きつづけてきた人というのは、その日々の精進を通じて、おのずと魂が磨かれていき、厚みある人格を形成していくものです。働くという営みの尊さは、そこにあります。心を磨くというと宗教的な修行などを連想するかもしれませんが、仕事を心から好きになり、一生懸命精魂込めて働く、それだけでいいのです。ラテン語に、「仕事の完成よりも、仕事をする人の完成」という言葉があるそうですが、その人格の完成もまた仕事を通じてなされるものです。いわば、哲学は懸命の汗から生じ、心は日々の労働の中で錬磨されるのです。…
(稲盛和夫著「生き方」より)

最後に、ヒンズー教の教えには次の有名な教えがあります。

心が変われば態度が変わる。
態度が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
運命が変われば人生が変わる。 
(ヒンズー教の教え)

畢竟するに、「心」が変われば「人生」が変わるということです。人生においてたとえ窮地に陥った時でも、日々心を磨くことを怠ることなく自分自身で心を変えることができるならば、人生を好転させていくことが可能であるのだと私は考えています。



中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp



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