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「戦争を知らないお子さま」が「戦争を知らないお子さま」を読み解く

2019年5月17日付けPRESIDENT Onlineには、精神科医和田秀樹さんによる東大コンプレックスのある人がすぐさま食いつきそうな次の記事が掲載されていました。

「突発性バカ」になる東大出身者の共通点 怒りと不安の感情を抑えられない

以下一部転載。「賢いとされてきた「東大出身者」が、バカな暴言で社会的生命を失う事案が相次いでいる。精神科医の和田秀樹氏は「原因は『傲慢さ』ではない。エリートほど怒りや不安といったネガティブな感情をコントロールする経験値が足りないからだ」という――。…」

記事の内容としては、東大医学部卒ならではの論調であり、東大出身者のみに当てはまるものではなく一般的にエリートや賢いと言われる大学を卒業した人に当てはまることではないかと私は感じました。


今回の丸山穂高議員への認識については、日本経済新聞2019年5月16日付朝刊の春秋に掲載されていた内容が、世間における識者たちの認識ではないかと私は考えます。要約しますと、戦争体験者からみる戦後育ちの戦争に対する認識の甘さ。更には、ゲームやアニメの世界で育った「戦争を知らないお子さま世代」の戦慄さというものが簡潔に述べられています。

  以下一部抜粋。「…日本維新の会の丸山穂高衆院議員が、北方四島ビザなし交流で国後島を訪れたさいに元島民らに問い詰めた。「戦争で島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」「戦争しないとどうしようもなくないですか」。酔っていたらしいが言い訳にはならぬ。当年とって35歳。この「戦争を知らないお子さま」に戦慄さえ覚える。…」


加えて、私個人が高学歴者たちに感じる認識としては、2019年4月8日付け「「私の学歴論」最終学歴の時代が終焉した最新学習歴の時代にすべきこと。」にて述べさせて頂いた、

私は今の時代は最終学歴の時代ではなく、「最新学習歴」の時代であると先述しましたが、社会の変化が激しく、人生100年時代と言われ、大学卒業後のリカレント教育の必要性が叫ばれる現状においては、実際に20年くらい前の最終学歴などはないに等しいと言えます。具体的には、20年くらい前に受けた詰め込み型の偏差値教育などは、現状におけるビジネスでは通用しないということです。大学卒業後に、継続して勉強する習慣が身に付いていない人は、時間が経てば経つほど、学歴にあぐらをかき偉そうになる反面、現場では使い物にならなくなっている人が多く見受けられます。逆に高い学歴と自身の発言や行動が比較されてしまいますので、頭の悪さが際立ってしまうということです。

でしたり、2019年5月2日付け「20年遅れのヒーローが求められる時代」 にて述べさせて頂いた、

時代が加速度的に変化する中においては、20年前の常識は時代遅れの非常識となり、改革を阻害する負の遺産となっています。実際に昨今では、リカレント教育の必要性が叫ばれるようになりましたが、それは20年前に行われていた誰かの作った答えを出来るだけ多く暗記し、言われた通りに行動できる人材を育成するための暗記型教育を受けた思考力のない受け身型の人材たちが現場では全く役に立たなくなり、答えのない課題に対して自らで答えを導き出せる主体性と思考力ある人材が求められるようになってきたからです。これは最終学歴の時代ではなく、最新学習歴の時代になっているということです。例え20年前に高度な教育を受けたとしても、その後自分自身で継続した研鑽をしていなかったならば、20年経った今では学歴など無いに等しいと言えます。逆に最終学歴が高学歴の人間ほど、新たに学ぶことを拒み、変化の抵抗勢力になりやすいとも言えます。これは学歴のみならず、職歴でも同じことです。

が当てはまります。


更には、丸山穂高議員の一連の話題に関してデザイン思考の観点から読み解くのであれば以下のようになります。

デザインの世界では「アフォーダンス」という言葉を使用することが多々あります。「アフォーダンス」とは、アホが酔っ払って戦争を促すダンスをしているという意味ではありません。認知心理学における概念の一つであり、人と対象物の間に存在する関係性を現す言葉とも換言できます。もう少し分かりやすく言うならば、人が対象物から受ける感性的価値と言い換えても良いものです。

具体的には、「あなたが東大卒、元エリート官僚という機能的価値を持っている人から受ける感性的価値とはどのようなものでしょうか?」大半の人が、ある程度一定とも言える賢い判断や賢い行動をこなせる人という感性的価値があると認識することでしょう。しかし、人は時折この一定とも言える感性的価値を誤認してしまうことがあります。つまりは、本来は感性的価値の低い対象物に対して、価値が高いと間違った認識をしてしまう事があると言うことです。

この誤認を防ぐために必要となるのが、シグニファイアと言われるものです。簡単には、対象物に対して新たな機能的価値を意図的に加えることで、感性的価値の誤認を防止するものです。具体的には、「東大卒、元エリート官僚」という対象物に対して「戦争必要発言をしたあの人ね」というシグニファイアを加えることで、「東大卒、元エリート官僚、戦争必要発言をしたあの人」となり、当初のアフォーダンスとは大きく異なるアフォーダンスになります。他人からシグニファイアを付けられてしまっては不平や不満もあるでしょうが、ご自身でこれまでのアフォーダンスを変えるシグニファイアを付けてしまったのですから、声高に文句は言えません。

「東大卒、元エリート官僚」というアフォーダンスを維持するために、一度でもエリート街道を外れることを怖がり「表向きは何もしない、何も言わない、全て他人のせいにする」という保身に走る人が多い中で、恐れずに行動されている側面は評価に値し、私は応援もしています。物事を良い方向にも悪い方向にも変える事が出来るのは「行動」のみであり、何も「行動」しない人たちよりはその点に関してはマシであるということです。仮に「行動」により悪い方向に行ってしまったのであれば、「更なる行動」により事態を好転させるしかないでしょう。「更なる行動」が、考え方と誠意が伴った地道な「行動」であれば、時間と共に物事は好転することになるでしょう。加えて、考え方と誠意が伴った地道な「行動」とは、法や規則有りきという理詰めの行動ではなく、心の詰まった行動であることは言うまでもありません。


最後に、現実的な経験が乏しくバーチャルの中で生きている人たちや、自らの実力を顧みない傲慢さの強い人間の中には、「アイツを半殺しにしてやる!」と言っている人がいますが、私の耳には「いつでも私を半殺しにして下さって結構です。」と言われているように聞こえてきます。つまりは、「戦争してでも領土を取り返せ!」と言っている人間の言葉は、相手からしてみれば「いつでも戦争によって領土を奪って下さって結構です。」と聞こえるということでもあります。私がロシア人ならば、北方領土をあえて日本に取らせた後に、北海道を奪いに行くでしょう。日本が北方領土を取りに来た事を大義にすれば、国際世論も説得出来ます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー 1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

記事:MBAデザイナーnakayanさんのアメブロ 2019年5月22日付

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