不思議のメダイに隠されたメッセージ


我が子は
あなたがたに
希望を告げるために生まれました
苦悩を救うためでなく

  初夏の薫りが巷に溢れるよく晴れた日の午後、六十三歳になる作家のもとに出版社から一通の封筒が届いた。ノンフィクション作家であり、建築設備会社の経営者でもある彼はここ数年、書き下ろしの新作を出版していない。最後のベストセラーは三年前に遡る。封筒の送り主である大手出版社K社の担当編集者とも、久しく会っていなかった。

 なんの用だろう。過去の著作の増刷か文庫本化の決定通知ならありがたいと、老作家は思った。少し厚みのある封筒を目の前に、根拠のない淡い期待を抱くほど、会社の経営状態が悪化していたからである。
 残念ながら、封筒の中身は彼が期待したものではなかった。編集者は読者から届いた作家宛ての手紙をそのまま転送したにすぎない。短い手書きのあいさつ文といっしょに、未開封の手紙が同封されていた。
読者からのファンレターも久しぶりだなと、真中克彦は思った。ハサミで封を切り、便箋を取り出した。

 +アヴェ・マリア
 初めてお手紙いたします。
 真中先生の御本を読ませて頂き、その真摯な考え方、純粋な心に感動いたしました。
 私は東北にある修道院に身を寄せておりますが、上京の際には、ぜひ先生にお会いして、お話を聞きたいと願っております。どうぞその機会を私に与えくださいますよう、先生からのご連絡を心よりお待ちしております。
同封しましたマリア様の「不思議なメダイ」は、カトリックでは大変有名で、病気の回復等、多くのお恵みが与えられるものですから、大切に身につけていただければうれしく存じます。
 これからますます暑くなりますので、御身ご自愛くださいませ。
 かしこ 
 二〇〇〇年六月二十四日

    シスター・アン粟津
    携帯 〇九〇・××××・××××

 あまりに意外な人物からの予想だにしない文面に、真中はしばらくあっけにとられ、どう返事をしたものか、考えがまったくまとまらなかった。彼がイメージするシスターは、むかし見た映画に出てくるような、楚々として可憐で、ほっそりした黒衣姿の女性である。街中でときおり見かける彼女たちにしても、地味で目立たず、まるで影のように歩いていて、そのイメージを裏切ることはなかった。
 ところが、この手紙の主ときたらどうだ。手紙の末尾に「かしこ」と記すばかりか、携帯電話を持ち歩き、こともあろうにその番号にかけてほしいという女性なのだ。あまりに彼が思い描くシスター像とはかけ離れていたし、手紙の文面にただよう女性としての生々しさに危険なシグナルを感じ取ったのだ。


 当惑の次に浮かんだのは、宗教への拒絶反応である。真中はキリスト教になどまったく関心がなく、聖書の一ページすら読んだことがない。キリスト教どころか、息子との理不尽な別れを経験してからというもの、完璧な無神論者なのだ。
 神仏を信ぜず、その存在を疑い、宗教や信仰そのものを否定している。縁起を担ぐことはあるが、それは神のためとは違い、彼にとってはたんなる気休め、オマジナイの類に属していた。
 神社はどうみても空虚で、寺はどこもうす暗く陰鬱。なにより、あの抹香臭い匂いが大の苦手だった。日本人の習慣にしたがって、人並みに正月だけは家族揃って初詣に出かけるが、そのときにはひとり離れて妻や家族が祈る姿をカメラに収めているだけで、決して御神体を拝んだりはしない。無神こそが彼の信条なのである。まして彼女が感動したという本は、五、六年も前に出版された役人批判本だった。とても敬虔なカトリックのシスターが興味を持って読むようなものではなかった。


 さらに悪いことがもうひとつあった。手紙に同封されていた聖母マリア像が浮き出ている、銀色をした一粒の小さなメダルである。
その小さな粒を右手の人差し指と親指でつまんで、左手の手のひらに乗せてみた。軽い。どうやらアルミ製で、中は空洞のようだ。楕円形のトップ部分に環がついているところを見ると、ネックレスに付けるペンダントヘッドとして作られたものらしい。
 メダルの造りはおそまつだった。「カトリックでは大変に有名だ」とシスターが言うわりには、聖母の顔が雑で容姿も判らないという代物なのだ。せいぜいがお菓子のおまけといったところである。新興宗教にありがちな強引な勧誘か、寄付金集めの手段かと、彼が疑ったのも無理はない。安物のチャチなメダルを熱心な読者を装って一方的に送りつけ、作家が好奇心からのこのこと会いに出かけたところで、おもむろに高額な寄付金を要求される場面を、真中は想像した。
 手紙に添えられたメモには、「身につけていると病気や事故から護ってくれます。どうか大切に持っていてください」と書かれている。
シスターの言うありがたい功徳があるかとは思えないが、少なくとも大金をまきあげる仕掛けとしては申し分ないなと、真中は思った。メダルを包んでいた古めかしいしわくちゃの紙でできた「由来書」が、神秘的な雰囲気を醸し出している。
 一度だけ声に出して読んでみた。

「一八三〇年、ある夏の日の深夜。パリの修道院でのこと。すでに寝ついていたひとりの修道女が天使に声をかけられて目覚めました。
『聖母マリア様があなたを呼んでいます。わたしについてきてください』
天使はそういうと、地下の聖堂へ修道女を導いたのです。聖堂に着くと、いつもは暗い通路に、煌々と灯火がともり、まばゆいばかりの明るさで溢れていました。
  やがて天使が修道女に聖母が訪れたことを告げると、やがて神父の座る肘掛け椅子に聖母マリア様がお座りになったのです。修道女は生涯でもっとも甘美なひとときを過ごし、そして聖母マリア様は彼女にひとつの使命を託されました。
 その使命が何かは同じ年の冬の日の夕方、二度目のご出現で明らかになりました。聖母マリア様は『この姿のとおりにメダイをつくってもらいなさい。このメダイを身につける人は、残らず大きなお恵みを受けるでしょう。信頼をもってそれを持つ者には、また特別に豊かな恵みが与えられるでしょう』と告げ、さらにはメダイの表と裏をこと細かにお示しになり、祈りの言葉まで空中に描いてみせたのです。
 敬虔な修道女はこのメダイを造り、なんとかひとびとに配布しようと、この夜の出来事をしかるべき司祭神父に伝えました。果たしてメダイの効果はすばらしく、御利益に預かった人は数知れず。評判が評判を呼び、わずか三年間のうちに二百万個が造られたと言われています。
  聖マキシミリアノ・マリア・コルベは、このメダイを聖母の弾丸とよばれ、人びとを悪魔の手から救って真の幸福を得させるためできるだけ多くの人びとに配布して、聖母マリア様のお恵みをふらすことを望まれました」

 由来書の真偽はともかく、どうやらシスター・アン粟津から贈られたメダルは、十九世紀のオリジナルをもとに造られた現代版らしい。身につける気はなかったし、できればさっさとゴミ箱送りにするつもりだった。しかし、愛読者のせっかくの好意を無にはできない。さんざん迷ったすえ、名刺入れにしまい込むことにした。
 今までただの一度だって、車内に神社のお守りすらぶら下げたことがなかった老作家にしても、本の愛読者、それも本に挟み込まれた葉書を利用したものではなく、自筆で書かれた手紙の賛辞には弱かった。
 ゴミ箱に放り込むのを何度も留まり、まあ邪魔にならないくらい軽いからと、真中は自分の信条に反する行いを納得させた。すぐにメダルを名刺入れにしまったことさえ忘れていた。


 あのことが起きるまでは。
 そう、彼の常識を根底から覆す
 あのことが起きるまでは……。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?