【わたしは青空】


自分とはいったい何だろう。中学生のころから、ばくぜんと考えていました。

いまから8年前の春先のことでした。京都東山・知恩院の隣りのお屋敷で、禅の接心がありました。
接心とは、心をひとつにして心を乱すことなく集中することです。

鎌倉一法庵の山下良道住職の指導で、一週間ほどでした。午前4時に鈴が鳴り、4時15分に起床です。食事とシャワーの時間のほかは、1時間単位で坐禅を8回やります。その間は話すことはできません。
午後9時半が就寝です。これを毎日繰り返すわけです。

あるとき「我とは何ぞや」と思いながら、坐禅に入りました。

青空のもとで坐っている自分が見えます。
しばらくすると、青空の真上から細い透明のチューブが降りてきて、頭のてっぺん(第七チャクラ)から尾てい骨(第一チャクラ)へ抜けていきます。そこに空が吸い込まれていくのです。そしてお尻を包むようにして広がり、気がつくとまた青空の下に坐っていました。

先ほどと同じ状態です。でもどこかが違う。わたしは大きな透明の風船のなかにいたのです。

その風船を見上げると、透明なキズがたくさんついています。近くのものに意識をあてると、学生時代の恋の物語が浮かんできました。上には江戸時代の俳人の顔が。さらに源平合戦、屋島の戦いでの平家の若武者の姿も見えます。もう少し上には万葉集に出てくる宮廷歌人も。

風船の内側には、過去の痕跡がすべて残されていたのです。青空のもとで、これがわたしのすべてだ、とわかってきました。

気を落ち着かせて、坐っている自分に戻りました。わたしの風船に4分の1ほど入っている風船があります。妻です。重なったところは家庭でした。

子どもや孫は、少しずつ。近所の人や畑仲間は、接するていどでした。どうやらその関係の濃淡によって、差があるようです。

高いところから眺めてみました。薄暗い空間のなかに無数の風船がならんでいます。それぞれがつながりあいながら。どこまでも広がっていました。これが社会か。

試みに、透明の風船を尾てい骨から頭のてっぺんにむけて押し上げてみました。瞬時に、元の青空の下に坐っているわたしに戻るのです。その反対も一瞬にできます。

このすべてを見ているのは、青空です。
青空が、大きなわたしなのだ。そう思えてきました。

この透き通った風船のわたしが、今を生きるとはどういうことだろう。いつまでも坐っているわけにはいきません。

4月5日に心筋梗塞で緊急入院し、脳出血を併発したものの一か月で治療を終えました。5月2日に転院して三か月がたちます。毎日リハビリを続けていました。

東むきの病室の窓から日の出が、見えます。その光をあびながら、坐禅をします。
退院も近づき、いろいろと思うことがあります。

8年ぶりに、透明の風船の中のわたしになってみました。よく接しているのは、医師、看護師、リハビリの先生たちの風船です。週に二回面接にきている妻とは、少しだけ。景色は刻々と変わっていきます。

また別の日には、透明の風船を思い切り小さくしてみました。等身大になります。ほかの人との接点は、ほぼ点になっていました。

逆に大きくしてみます。どんどんどんどんふくらんでいきます。

青空の
 見ゆる果てまで
  すべて我
山川草木
 街から湖へ

湖(うみ)は琵琶湖のことです。
見わたす限りがすべてわたし。そういう体験ははじめてでした。

また別の疑問が浮かんできます。
脳出血をおこした直後、崩れ落ちてタコのようにぐにゃぐにやになったわたし。車椅子のわたし。杖と三本足で歩行するわたし。ふつうに歩けるようになったわたし。わたしは刻々と変わっていきます。

人生は生(しょう)老病死というステージの変化の中にあります。
変わり続けるわたしと、これをどう結びつけたらいいのか。その解がなかなか見つかりません。

ある日の午前2時ごろでした。夢がうつつか、サーフィンをしているわたしの姿を見たのです。そうだ、これだ。

朝日の中で、坐禅に入ります。サーフィンボードで波に乗っています。その波というのは、老の上に病のさまざまな状況が重なりあったものです。
ボードの重心とその波が接した一点、それが生きていることだ。そうわかると、そのまま安心して坐禅を続けることができました。

変化し続けるわたし。状況も環境も変わり続けます。その接点が生きることです。

きようは77歳の誕生日です。8月8日8時48分に生まれました。

60数年かかえていた、「自分とは何だろう」という問いが解けました。

入院して四か月になります。あさっての10日に退院です。また、ここから新しい人生がはじまります。

2023.08.08火曜日17.17
ありがとうございました。
真の愛の語り部 川元一郎

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