見出し画像

2月29日に思うこと

またまた嵐が来てわちゃわちゃしていた森のキノコです。
気が付いたら、日本は3月に突入してしまいました。
私の住んでいる町はかろうじて、まだ29日です。

4年に1度の2月29日。
そして、もうあと半年で亡くなってから2年目を迎える友人の月命日の29日。
本来はカフェに行って、自分の時間を過ごす日。
今日は無理でしたが、なんか、特別感がぬぐい切れないと思った時、ふと考えたことがありました。
それは・・・・

4年前、友人はまだ生きていて、第2の人生を模索中でした。
そして4年後。彼女はもう、いない。
4年という月日の重さ、をここまで考えたことはありませんでした。
4年後、私はどこで、何をしているのだろう。と今までなら考えていたのに、今は「私は生きているのだろうか」と考えてしまう。
もちろん、友人をなくしたことだけではなく、「生きていたことが不思議」と言われた4年前、私は、血圧が人間の数値ではない記録を出して、救急に運ばれたこともあって、いつ何が起きてもおかしくないということを学んだのでした。
私の住む国は医療が「サバイバル」(苦笑)
ブーブー文句を言う人ももちろん多いけれど、かえってこの方が、「自己管理」をするよね、と思いながら、受け入れている現実。
けれど、4年前の担ぎ込まれた時にお医者さんが予約した腎臓の造影剤の検査、未だに連絡来てません(大汗・・・・・)
どーして血圧が上昇したんだろうねぇ~。
太ってもいないのに・・・(←この町のスタンダードでは痩せて見える、けれど、羽田に降り立つと小太りおばさん。笑)と言われて、はてなマーク、ちゃんちゃん。

生きているって奇跡です。

この言葉、今でも忘れられない上、私の生きるモットーとなっています。

4年前。世間は、流行の感染症が3月に広がり始めてロックダウン。
そして自分は血圧急上昇で、11月に救急で運ばれました。

そして今年。私は今、生きています。
友人は先に天国に行ってしまったけれど、私は彼女に再会するまで沢山「土産話」を持っていくため、日々できる限りまい進しています。

そして4年後、2028年。
60歳というもう「老い」という言葉が本気でやってくる年齢に手が届きそうな頃。
私はどこにいて何をして、誰と時間を過ごしているのだろう・・・・と考えたのです。

できれば・・・・できれば、というあくまでもの理想だけれど、日本の母をこの国に呼びよせて、田舎の町の小さな家に「彼」と住んで、自給自足に近い生活をしながら、セラピストの仕事を続けて、娘とも無理のない距離に住めて(一緒に住んでいるかもしれないし)静かだけれど、穏やかな日々を過ごしていたらなあ、とデイドリーミングしていたりするのです。
そして、noteでフォローしている大事な人たちとも、まだつながっていて、みんなが元気に好きなことを続けている、そんな4年後を私は夢見ています。

・・・・・夢を見るのは自由・・・・ですよね!?

1日多い、今年。
私には本当に大きな岐路に立たされる今年。
今の私の決断1つで未来が変わる、と実感している日々。
自分の思いもだけれど、社会情勢も、そして何よりも娘の未来も、母の健康も含めての選択は若いときにした選択とは全く違っているのも事実です。

でも、いいんです。その時その時、臨機応変に。
夢を見ながら、次の4年をまた精一杯生きてみようかな、と思っています。

追伸:写真は私の理想のおうち。羊が3頭いますが、できれば鶏も3羽欲しいところです(笑)





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?