旅をしよう、そしておうちに帰ろう

大好きな5月が足早に去ってしまい、心に雲がかかっている森のキノコです。

6月に入ってから、体のだるさがいつにもましてひどくなってきて。
心はキノコでも体はゾウ。そんな感じで日々過ごしています。

そんな6月の昼下がり、娘からメッセージが入った。
学校の空き時間にメッセージを送ってくるのはいつものことだ。たいてい”くだらない”ことだったりする。
けれど、今日は違った。
私の住む町は卒業シーズン真っ盛り、だ。
日本でいう3月。12年生の友達がみんな進路を決めて、それに進んでいく。
私の周りの知り合いのお子さんは殆どが「高校に行く」延長のように、当たり前に大学に行っているし、大学進学を希望している。
大抵は、地元の大学だ。
しかし娘のメッセージにはダンスで同じクラスのローレンちゃんの県外のかなりのレベルの大学の進学が決まったという知らせだった。
ローレンちゃんは常日頃から大学に行ってもダンスは続けたいといっていたから、ダンススクールに在籍を希望していた。
しかし、県外に進学となると、無理だろうなあ。
そう、悲嘆にくれた娘からのメッセージ。ローレンちゃんの将来を喜ぶと同時に、ダンススクールの「低年齢化」が加速する(笑)
そしてそれに加え、今11年生の彼女には「未来」を決めることがストレスになっている。
自分は何をしたいのか・・・・。

その後に読んだヤフーニュース。「移動できる人とできない人の格差」についての記事。
少し私の視点とはずれてしまうけれど、なんとなく気になった。
田舎というのは、「ムラ」意識というか、全体意識が強いような気がするなあと思う。その中で縦社会ができてしまっていたり、みんなが皆を知っている。そういう中で全て、うまく動けば素晴らしく居心地の良いところになるけれど、反対だと最悪だ。
私の住む町も比較的、中都市に近い小都市だけれど、「ムラ意識」の地元人のナワバリというかネットワークがある。それがまた恐ろしいのだ。
それは職場、PTA、ご近所、全ての人の集まるところで顕著に表れる。
「ムラ意識」の中のマウントは特に最悪だ。そしてその中で「村八分」になんてあったら地獄の始まり。
けれども、「よそ者」も存在している。この国の人で、いわゆる「反対側」の遠い街から結婚できた、仕事で来た、そんな人。そして他には、移民で来た人。そんな人はとても優しいし、付き合いやすい。
私もその中に入るし、私の友人と呼べる人たちは、このカテゴリーに入る人ばかりだ。
そしてよそ者のさわやかさを持つ人が比較的多いかなあ、と肌感覚で感じる。もちろん、地元で「お世話好き」な田舎特有の優しい人もいて、そういう人たちに助けられたことも事実。

自分の土地を離れて暮らすということはある意味、人生のレッスンのような気がする。
私は大学を卒業していないけれど、「自分の土地を離れて暮らす」というのは大学に入り知識を得ている人、と同じくらい違うような気がする。
その位、現代の人間社会のスキルにおいて必要なことじゃないかな、と思うのだ。
田舎を飛び出し、経験を積んで、家に帰る。そんなこともあっていいんじゃないかな、と。
そしてそういう人が新しい街を作り出すという形が、過疎地の町がこれから必要なんじゃないかな、と思うのだ。新しい人たちを入れる体制を体裁だけで作る以上に・・・。

私は、高校を卒業と同時に、地元を離れた。
半ば吉幾三の「オラ、こんな村いやだ~」とBGMが流れてきそうな勢いで、上京したのだ。
そして上京して仕事をし、10年後、高校時代に感じていた違和感が形を変えて、大きなものになり、「日本」を飛び出した。
そして年を重ね、羽田に降り立つたび、住んでいた時にはわからなかった、日本の素晴らしさ、を感じて心が温かくなった。
そして、いずれ、この国に戻ろうかな、とさえも思っていた。
多分、コロナがなければ、今頃永久帰国の準備をしていたと思う。

離れてわかることってあると思う。
土地、は特にそうだ。
それがいいことか、悪いことかは人それぞれで。
でも、人間の心って面白いもので、やはり年齢とともに昔を思い出すものなんじゃないかなと、最近思うのだ。
絶対ない、と過信していた私が言うのだ。
そして、以前人生の先輩に、「絶対、なんてこの世に存在しないのよ」といわれたことも付け加えておく(笑)

生まれた町で、育ち、家庭を持って次の世代に繋ぐ。
これが基本的には、子育てや親の介護の面で一番いいことかなと思う。

でも。住んでいるところの活性化、を考えた時、やはり若い人は大学でもいい、街をでて、「ソト」を見て聞いて、感じて、経験をして、そして育った町に帰ってくる、というのが人生にとっても、街の活性化についても、大事なことなんじゃないかな、とふと思ったのだ。
引っ越しじゃなくてもいい、スーツケース一つで、旅行にでて、外を見る、それでもいいと思う。いろんな町で、いろんな人の人生があって、いろんな場所がある。そしてそこで人の優しさや、冷たさ、海外ならば人種差別も経験するだろう。でも、そこで培ったものが家に帰った時、住んでいる町をより良いものにできるツールと変わるのではないか、と私は強く思うのだ。

ローレンちゃんは大学卒業後、帰ってくるのかな。
いやいや、まだ考えるには早いか・・・。
この間まで中学生だったのに。もう大学生か。
沢山沢山、大きな町でいろんなことが待ち受けているんだろうな。
いいなあ。私も人生をスタートさせたいな。
旅に出たいな。
娘が卒業したら、1カ月ほど旅に出たいな。そしておうちに帰ろう。
そしてそのおうちで、娘が帰る日を待つ、私はそういう人生のフレーズに来ているのだなあ、と改めて感じた6月の昼下がりでした。




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