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30分の決断

先日久しぶりに友人と森を散策して元気が少し出た、森のキノコです。
自宅に戻ってきたら、もう、元気はすでになくなりましたが、気合を入れて、今週は行こうと、心に決めました(毎週月曜日にやる気が出るけれど、水曜日には息が途絶える・・・・苦笑)

先日友人宅に行くと、待ってましたとばかりに、友人は「キノコ!新しい森の中の遊歩道を発見したの!行ってみない!!?」と玄関のドアを開けるなり、飛び出してきて、車に飛び乗った。
「え??ここから遠いの!?」という質問もスルーで早くのって!と言われるがままに乗っていった行き先は、彼女の家から車でほんの5分ほどのところ。
彼女は「新興住宅地」に住んでいて、周りは建築ラッシュ。行くたびに景色が変わっているほど。
そしてその5分くらい先はこの間まで「行き止まり」だったところ。
いつの間にか道が伸びていて、その横には大きな駐車場ができていた。

そこから行く遊歩道は彼女の言う通り森の中につながっていて、背の高い木が両サイドに伸びていて、小さな小川が横を流れている。
目をつぶり、息を吸うと、体中が目を覚ました感覚に陥るくらい、空気が凛として澄んでいた・・・・けれど。目を開けると、砂利でできた遊歩道はところどころ、崩れ、場所によってはがけ崩れで落ちてきた土砂が山を作り、木々は倒れ、まだ新しい香りのする橋は思い切りずれたり、折れたりしていた。そんな景色が続く遊歩道。

その景色を見て、マウイ島のことを考えた。
というのも、この森から20分先で山火事があったのだ。確か5月末くらいに。そして友人宅の通り向かいまで「避難勧告」が出ていたのだ。
幸いなことに、彼女の家は避難するまでは行かなくて、「自主避難」する家が半数あったらしいけれど、彼女はとどまった。

けれど、彼女の娘ちゃんの友達は家が全焼してしまった人、避難勧告がでて、一週間家に戻れなかった人、車が焼けてしまった人、何かしらの形で被害を受けた人が多数いた。学校も丸一週間休みになった。
娘のダンスのクラスメートもこの地域の子供たちが多く、この一週間は誰一人クラスには来なかった。
そして彼女たちは特に被害もなく、ただ一週間、数時間離れた実家に身を寄せていた、とか、キャンプサイトで過ごしたとか、人それぞれだった。
彼らの話を聞くと、想像もつかないものだった。
そして学んだこと。

山火事があって、市、もしくは県が出す避難指示の時は大体「30分以内で出て下さい」ということ。
これはこの国の反対側の地域に住んでいた友人の町が、ひどい山火事で逃げろ!と言われた時にも言われた時間だった「30分」という長さ。
そして逃げる道が一本しかない場合、車の渋滞が起きるということ。
ダンスのママさんも、いつもなら5分で行けるガソリンスタンド横の交差点までも1時間強かかったというのだから、驚いた。
「30分で必要なものを詰めてとなると、本当にどうしていいかわからなくてね」土地の権利書やらとにかく書類という書類をスーツケースにポンポン入れて・・・・。その後ろでは、ぬいぐるみやゲーム、そしてお気に入りのTシャツとダンス用のシューズだけを入れた娘さんが早く早くとせかしていたとか、いないとか・・・苦笑。
今だからこうしていえるけどね、と苦笑いしたママさんは「でもね、ああなると本当にどうしていいかわからないものよね」と言っていた。

あの時、改めて、30分という時間の長さを考えた。
そして火の手が来るかもしれない、という状況で、何を持っていこうと思うだろう・・・。そんなことを考えた6月頭。
そして6月中旬には豪雨がやってきて、今度は違う地域が川の氾濫や決壊、道路が流される、壊される、ということが起きた。
そしてこの遊歩道も被害にあったその一つだった。
火事の後の、大雨は危険なんだよね、と誰かが言っていた。
それが当たった。
避難した人もいたけれど、大雨の時は友人知人は安全だった。

けれど、マウイ島の話を聞くと、30分という余裕も、そして車で逃げ切るということも不可能だった状態ということを聞くと、言葉を失ってしまう。
命が助かれば、という言葉をよく聞くし、本当にそうだと思う。
けれど、現実問題はそうシンプルではなくて、「生活の再生」という現実を目の前にすると、ただのきれいごとの言葉にしかならないのだ。
震災で家をなくした母を見て、命があったことへの感謝は大きなものだったけれど、「生活の再生」の段階で、「生きていくこと」が苦しくなってくる人たちも母の周りにあった現実。
色んな思いがこのニュースで私の心のなかでぐるぐると回っていた。
亡くなられてしまった方々にはご冥福をお祈りするとともに、残された方々の「これから」が少しでも平和なものであることを祈るばかりです。

そして私が思うのは、常に「非常事態」に備えること、というのは大事なことということ。ちなみに、この地元の火事は「気候変動」ではなく、人災だった。
本当に些細な、誰かの家のバックヤードで起きてしまった火が始まりだった。
ということは、どこでも起きうることだということ。

「30分の決断」は私はできるだろうか。
5月末に考え、でも答えを出さずに時が過ぎて、そしてマウイ島の火災のニュースを見て、改めて答えを見つけておかないといけないかもしれない、と思った。
ちなみに、避難をしたときの話をしてくれたママさん、避難した時のスーツケースは中身はそのままで、寝室に置いてある、と言っていました。

久しぶりに入った森は静かで空気が澄み渡っていて、世界で起きていること、街で起きた事件とは本当にかけ離れ、ただただ、そこでの営みが静かに、でも強く繰り返されているのが分かった。
そして沢山の「キノコ仲間」にも会うことができました。

これ以上、平和な森のなかで、世界で、火事がないことを祈りつつ。
また新しい週が始まります。

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