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大きい優しい犬のこと


 昨年、実家で長い間一緒に暮らしていた大きい犬がこの世を去りました。今までの私の人生の半分以上に、その犬(以下Aとします。彼も恥ずかしいかもしれないので)がおりました。彼と特にみっちり過ごした期間、私がずっと考えていたことをここに書き残しておきたいと思います。すごく個人的なことなので恥ずかしくなったら消すかもしれません!


 まず、Aがうちに来るずっと前、私が生まれる前から、我が家は犬を飼っていました。父は、彼のことをとても可愛がっていました。大きな音を怖がる臆病な犬だったので、雷の晩には父が添い寝していました。一度花火大会の夜に、怯えすぎた犬が網戸をミサイルのようにぶち破って脱走してしまい、父が夜通し探したこともあったそうです。

 彼が亡くなった時、父が「もう一生犬は飼わん」と言いました。


 父が亡くなったのは、私が中学生の時のことでした。私はまさか父がいなくなるなんて考えた事もなくて、困惑しました。家に、父の形に大きな穴があいたようで何が起こっているのか分からなくて、何をすればいいのか分かりませんでした。

 今思うと、家族皆がそうだったのだと思います。どうしてそうなったのか、いつの間にか犬を飼うことになっていました。


 生活の中心が犬になりました。子犬は元気に家を駆け回り、椅子と机の足という足をかじり、そこだけはやめてという場所におしっこをまき散らし、人間の顔中を舐めまわし、ごはんがぱんぱんに詰まったぬくい腹を丸出しにしてよく眠りました。犬の口角はいつでもニッコリと上がり、垂れた大きい耳は歩くたびにぱたぱたと羽のように上下しました。

 横たわった姿はまるで雄大な山々のようにどっしりと大きく、力強く振られる太い尻尾につられて大きなお尻も揺れていました。

 歩きたい夜はどこまででも一緒に歩いてくれました。


 Aは、最高の友人であり、物言わぬ隣人であり、家族でした。

 Aはどんどん大きくなり、私も少し大きくなり、一度家を出ました。月に一度は帰省してAと過ごしました。

 大型犬は、一般的に小型犬より寿命が短いと言われているそうです(ぜんぜん知らなかった)。Aも、老犬と言われる歳になって体調を崩すことも増えたため、私は仕事を辞めて実家へ帰ることにしました。

 Aは、口周りと眉のあたりの毛が白くなって、いかにもおじいさんといった見た目になりました。渋くてなかなかかっこよかったです。

 Aは身体が大きくその分体重も重かったため、負担がかかったのか後ろ足を悪くしてしまいました。そのため、立ち上がる際や玄関の段差を上る際に補助が必要になりました。

 歩いていると、喘鳴のようにひゅうひゅうと喉を鳴らして息苦しそうにするようになりました。たまにそのまま座り込むので、私も一緒に座って落ち着くのを待ちました。

 大好きな散歩も段々と長い距離は歩けなくなり、短い距離を1日に何度も歩くようにしました。

 私の足の上にわざと(だと思う)お尻を乗せて座ったり、寝転んで本を読んでいる手の上に顎を乗せてきたり、今までそんなことしたことなかったのに、すごく甘えてくるようになりました。

 ご飯は、固形の物を食べるのは難しくなってきたので、ふやかしたり色んな種類の老犬用ペットフードを試していました(彼にはちゅ〜るが合っていたようです)。

 耳が遠くなり、目も悪くなりました。鼻はずっとよくきいていたようで、おやつの匂いには敏感でした。

 心配な症状があって病院に連れて行っても、「もう十分長生きやからね」と毎回言われました。そんなん当たり前に分かっとるけど、目の前で命ある限りはどんな苦痛もなるべくありませんようにと思うじゃろ。

 病院に連れて行くこと自体が体力的に負担になってしまうので、飼い主だけが来院して撮った動画を見てもらったりして、気になることを獣医さんに相談させてもらう形になりました。

 夜鳴きをするようになったので、毎晩私もリビングに布団を敷いて一緒に寝るようになりました。

 Aが夜鳴きをする理由は大体4個くらいありました(多分)。

1 お腹が空いている

2 トイレに行きたい 

3 寒いまたは暑い

4 寂しい


 彼の場合、この「4 寂しい」の時がほとんどで、そういうときは落ち着くまで撫で続けました。(たまにTwitterのスペースで犬撫でながら喋ったりしていました、一緒に遠隔で撫でてくれた人たち本当にありがとうございました!)

 撫でている間、私はたくさんのことを考える時間をもらいました。犬とのことや、父のことがほとんどでした。


 父が亡くなった時、私は子どもで何もできませんでした。入院中の父の介護や、今思えば家事なども、本当に何もできませんでした。

 入院していても、すぐ元気で家に帰ってくるものと思っていました。本当に何もできませんでした。父の闘病中も父が亡くなってからも、母や姉たちが相当苦労したことは、すっかり大人になってからだんだん分かりました。


犬を撫でながら、父のことを考えていました。

父は、自分の誕生日に祖母に「産んでくれてありがとう」って言う人で、

働き者で、サッカーが好きで、責任感が強い人で、

涙脆くて、ナウシカの大ババ様のセリフを完コピしてて、泳ぐのが得意で、

手が大きくて、目が細くて、足が速くて、お尻が大きくて、

毎朝自分のカッターシャツをまるで儀式みたいに丁寧にアイロンがけして、

母のことが大好きで、几帳面できれい好きで、

仕事から帰ってきたら抱っことおんぶと肩車をしてくれて、

おしゃべりじゃないけど人を楽しませる事が好きで、体が丈夫で、健康で、

カメラを向けると絶対口開けた変な顔をしていました。


 そうやって何度も反芻した父の記憶も、実際に私が覚えていることなのか、父が亡くなってから周囲から聞いた話なのか分かりません。

 

 Aを撫でながら、私が父に出来なかったことについてずっと考えていました。父と出来なかったことについてもずっと考えていました。それまで向き合ってこなかったことでした。

 

 父はAではないし、Aは父ではありませんが、Aのお世話をしている時間はふしぎといつも父のことを思い出しました。Aの身体を拭いたり、ご飯を口に運んだりしている時、母も父にこうしたんだろうかと思ったりしました。

 母は、Aについて「寂しがりできれい好きなところがお父さんに似てる」と言っていました。

 

 Aが亡くなる少し前、その夜も一緒に布団を並べて寝ていて、Aのツルツルの頭を撫でていました。Aの目を見ると穏やかに細められていて、そこに私が映っていました。うまく言い表せないのですが夢の中のような不思議な感覚で、唐突に「Aは私のことを愛してるんだろうな」と思いました。そして、本当にこの子に少しの不安や苦痛も降りかかってくれるなという思いで胸がいっぱいになりました。

 絶対に今夜のことを忘れないでおこうと思いました。


ふしぎな偶然ですが、Aが亡くなった日は、初めに書いた先代の犬の命日でもありました。

 Aはとても長生きで、そして長い間元気でいてくれました。介護を必要としたのはほんの数年だけでした。

 どれだけ言葉を尽くしても自分以外の生きものと心が通うことなんて絶対ないと思っているけど、Aと過ごした時間は心が通い合うこと以上に私にとって大切な時間でした。

 あなたも同じ気持ちであっただろうと思いこませてくれてありがとう。


 犬が必要な人生だったし、うちは犬が必要な家でした。父の形にあいた穴は犬で埋まることはなかったし、誰も埋めようとしませんでした。家にはまた犬の形に大きな穴があいたけど、きっとこれも一生埋まらず大切に眺めて一緒に生きていくものなんだと思います。

 犬がある人生でよかったです。

 父へ 私ももう一生犬は飼わんと思います。

 長々と読んでくださりありがとうございました。終わりです。


令和4年2月19日 つづ井

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