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夢の実験 【ショートショート】

「観る夢が、最近どうもおかしい」

彼の話によれば、「おかしい」の内容は、

・住む街や年齢などは現実と同じだが、
・ひとり暮らしの部屋の隣に今はなき実家の居間がある
・親友が大学2年生くらいの姿
・都心のオフィスで経験したこともない講師の仕事をしている

限りなく現実に近い基本設定は混乱を招きやすいらしく、起きてからしばらくはぼんやりとしていることが多いという。コーヒーで無理矢理に目を覚まさせて、時間に余裕のあるときにはランニングまでするようになったというから、かえって健康的なようにも思える。夢と現実の内容に僅かな違いもなかったら、境がわからなくなることがあるのだろうか。彼の話を聞いていると、あまり深く聞いてしまうと、僕は少しだけ怖いような気がしてくるのだった。彼は明朗な性格の持ち主で、その話をするときもひょうきんな様子だった。怪談やSFっぽさも感じさせず、雑談にしかならないような軽い調子だ。それにもかかわらず、胸のあたりが静かにざわつく感じがして、僕は適当に切り返して話題を変えた。

子どもの頃から、夢とかUFOとかUMAとか不思議な物事に興味の深いところがあった。そういう本ばかり好んで読むものだから、小学校のときの先生には物語も読むように言われ、余計なお世話だと思ったのを覚えている。今は、自分の世界に浸りがちな子どもに、本を読ませて人とのやりとりや感情の動きを追体験させて心の成長を促そうと一生懸命に関わってくれた先生だったんだろう、と思えるくらいには大人になったと自分では思っている。同時に、大人になったとわざわざ言うのはまだどこか大人になりきれていない証拠かなとも思っている。
当時、最も気に入って擦り切れるまで繰り返し読んでいた本のうちのひとつが、夢について書かれた科学的かつ文学的な良書だった。

「自分が蝶の夢を見たのか、それとも自分は蝶の見ている夢なのか」と言う荘子の有名な説話はとても印象的で、妙な夢を見るたびに思い出したものだった。
近頃、僕が観ている夢も現実とそっくりの内容だった。友人が言っていたものよりも、もっとリアルでほぼ現実といってもいいくらいの世界だった。そして、その画面というか視覚の右下のところには、いつも30センチ四方の立方体のようなものがあった。ブロック的な四角が5、6個置かれている。厳密に言うと、地表から2センチくらいの高さで浮いている状態だ。ちょうどWEB上の画像のウォーターマークのようにうっすらと透けていた。出張中の新幹線のシートでまどろむときにもそれは観えていて、車両の揺れでガクンとして目覚めたとき、少し戸惑って現実の視界の中にもそのブロックがないかどうかを確かめてしまった。

夢見が変なのは僕の方でもあったから、彼の夢のことを聞いて、そのタイミングに驚いたのもあったのかもしれない。そしてなぜか、その話を聞いた晩、僕はいつもの透き通った立方体のブロックを少し触ってしまったのだった。すると、次の晩はより現実と近い世界観が夢の中に展開した。また触ると、その夜の夢は少し現実から離れた。どういう加減で現実感の濃さが変わっているのか全くわからなかったが、そのブロックの位置次第でなにかが変わるのは確かであるようだ。夢は、慣れるとその世界の中でも「これは夢だ」とわかるようになる。明晰夢というらしい。夢マスターといってもいい僕(自称するのは自由なので)からすればそんなのはお手のものだ。だから、どうせ夢だということで思い切って、ある晩そのブロックを大きく蹴って動かしてみた。

その夜の夢の内容は、こうだ。

・荒廃した街と、未来都市と、自然豊かな郊外の風景
・未来都市のビルの中の無機質な部屋の清潔そうなベッド
・そこに眠る人
・他の各部屋にも1人ずつ眠っている様子からすると病室っぽい
・大きな樹に僕の名前が書かれた札が架けられている

いかにも「夢」という感じで、映画のようでもあった。
どうせ夢だから、どうということもない。でも、それはとても怖い夢のようでもあった。その風景を観た僕の脳裏に、筋書きとして、文脈のない論理として秒速で飛び込んできたストーリーがあったからだ。3種類の街の意味はわからないが、少なくとも夢の中で僕は生きていなくて、大きな樹は墓石の代わり。病室に眠る人々にはまだ命があって、戻って来れる可能性を持っている。肉体を失った僕は、そこに戻る希望を永遠に失った。ざわつきが尋常じゃない勢いで襲ってきた。現実と思っているこの世界に生きる人びとは、向こうがわの世界の死者なのだとしたら?そう考えている思考も含めてなにもかも、誰かの見ている夢なのだとしたら?その真実に気がついてしまったら、眠ったが最後もうこちら側には戻って来れないとかだったら?

結論、「なにも変わらない」のだろう。
実際のところ、その仮説があれこれ当たっていたところで、今晩もぐっすりと眠るに違いない。たとえおかしな夢を見ても、ファンタジックな発想が思い浮かんでも。そんなふうだったらどうしよう!という落ち着かなさや胸騒ぎは、子どもの頃のお気に入りだった「21世紀の謎」みたいな書籍を読む感触とよく似ている。本も夢も、行って戻って来れる刺激的で安全な冒険なのかもしれない。ただし、本は閉じれば中断できるし、物語も著者によって先に完成されているから安心して浸れるのだろうと思う。夢はもう一段階、危険なところにあるような気がしている。もう一段階危険で、さらにもう一段階魅惑の領域にある。

夢なのをいいことに、性懲りもなく僕はまたブロックを動かして実験を重ねていこうと思っている。シリーズものの夢、明晰夢、内容をコントロールした夢、他者と共有する夢、枚挙に遑がない。


「向こう側」に戻る身体のない哀れな死人は、現実と呼ばれる「こちら側」のルールと価値観にそこそこ上手く溶け込みながら、極めて文化的な活動として夢を観る。

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