何者

光太郎は、Mくんだ。

これが、朝井リョウの小説「何者」を読んだ時の最初の印象だった。
主人公と同居する友達の「光太郎」のキャラクターが、Mくんにかぶったのだ。

光太郎は、その場を盛り上げるピエロになることもできるだけで、決してバカではない。(中略)たまに、光太郎のそういう面を見抜けない人が、明るい光に集まる虫のように、光太郎に近づいてくることがある。

とか、

こうしてふたりだけで話しているほうが、光太郎は面白い。大人数で飲んだりしているときは、盛り上げ役というか、勝手に何か役目を背負ってしまってる気がする。

とかの、キャラクター描写は、まるでMくんのことを言っているようだった。

私が最初に彼と話した時、確かに「明るい光に集まる虫」のうちの1匹だったと思う。
人懐こくて、気さくに話しかけてくれる彼に明るい光を感じていた。

ただ、虫の中でも直感が冴えてる方なので、「たぶん仲良くなれそうだ。」とすぐに分かった。その直感は、なんか目立ってて面白い人と仲良くなりたーい!っていう、いかにもただの虫のミーハーな欲望とは違って、この人とは笑いのセンスが合いそうだ、という芸人寄りのモノだった。

案の定、直感は的中し、仲良くなれたわけだが、その過程で、「決してバカではない」という部分もよく理解できていった。
もちろん、私は本当のバカとは仲良くなれそうとは決して思わないので、最初から分かっていたとも言えるが。

そして、仲良くなるうちに気づいたことがもう一つある。彼は、光に集まる虫たちに表面上は優しく丁寧に接するが、本当に心を開いた相手との付き合いとは、その質が全く異なる。
恐らく彼のガワの部分、演じるピエロの部分だけしか見ようとしない人には、その部分しか見せない。
その奥にあるものは絶対見せない。
本人に聞いたことはないが、私にはそんな風に思える。

それが、2個目の引用、「ふたりだけで話しているほうが面白い」につながる。
私もMくんとふたりで飲みに行くようになったのは、ここ2年くらいだが、本当にこの描写そのまま同じことを思っていた。

それまで、大人数で飲んでいる時ももちろん楽しかったし、Mくんに何度も笑わされた。
でも、ふたりで飲んで、何の役目も背負っていない彼の考えや、感じ方を聞くことは、また別の楽しさがあった。

単純に楽しい、というよりは、興味深く面白い、という感じ。
人間としての彼に興味があるから。
そこではまた1匹の虫に戻って、彼の考えや経験を根掘り葉掘りインタビューしてしまうのだ。

一寸の虫にも五分の魂、で、自分なりの考えやツッコミも挟んだりするけれど、基本的には「これ、どう思う?」と尋ねていくスタンス。

ここまで書いてきて思う。

なんなの、Mくん、スターかよ!!

いや、でも、確かに「明るい光」とは、スター性のことを言うのかもしれない。
ならば、私はスターを取材するライターといったところか。

矢沢永吉、美空ひばり、長嶋茂雄…(例えが昭和だな)本当のスターを描いた本はたくさんあるが、皆の身近にいる、なんだかよく分からないけどスター性ある人、を私は描いてみよう。
それは、「何者」に出てきた光太郎であり、私のそばにいるMくんであり、あなたのそばにいる誰かの物語だ。

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