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卒業旅行・イン・アジア(1)

卒業旅行シーズンだ、というにはもう遅いか。
社会人になることへの不安と期待を抱えて、最後のモラトリアムとばかりに大学生が海外へ飛び出す、例のアレである。

私も、大学卒業時にご多分に漏れず、卒業旅行を敢行した。
しかも2回。もはや、ただ暇にまかせて旅行したかっただけ、とも言える。

卒業旅行第一弾(こう言うだけで「卒業」の重みがなくなるから不思議)は、同じ大学の親友ユミコとのタイ二人旅だ。
大学4年の10月だった。私は地元長野での就職が決まっており、ユミコは翌年10月からのアメリカ留学に向けて、広島の実家に戻り留学資金を貯めるという進路が決まっていた。4年間、一番身近にいてくれた友達と、離ればなれになってしまう。

彼女とは学部も一緒で、共に野球部のマネージャーになったことで知り合った。同学年のマネはもう一人いたが、私とユミコ2人の相性は抜群に良く、気づいたら親友と呼べるほどの仲になっていた。
広島の方言は、西日本の中では珍しく語尾に「じゃん」を付ける。関西では、「やん」と言うことを強要される恐ろしい雰囲気があり(実際、「じゃん」とか言うのキモイやんな~、とかよく聞いた)そんな中で、気軽に「別にじゃん使ったって、いいじゃん!」と言える友達は貴重だった。

そんな彼女とは、一人暮らしのお互いの家に泊まってお酒を飲んだり、カラオケで一夜を明かしたり、野球部の合宿でも寝泊りを共にしている。2人で旅行するのには何の抵抗もなかった。海外旅行は初めてだが、それでもこの子とならケンカすることもないだろうと安心して旅立てた。

申し込んだツアーは、現地ガイドが随行するものだったが、行ってみて、そのツアー客が自分たちだけだと知った。ガイドのおじさんと車とドライバーさんが、我々2人の専用だった。学生がバイト代で行けるようなツアーだから、そんなに高いものではなかったはずだ。この好待遇に、日本との人件費の差を感じ、多少バツが悪かったのを覚えている。

ガイドのおじさんは、独学で習得した日本語でガイドをしてくれたが、時々その日本語はおぼつかなかった。旅行初日、ホテルのエレベーターの中で、明日の集合時間を言ってくれたのだが、実は聞き取れていなかった。でも、ユミコは分かっているだろうと思い、部屋の前でガイドさんと別れたが、実は彼女も聞き取れておらず、お互いが相手をあてにして、分かったフリをしていたことが判明。すぐに、再度確認するために彼の部屋に電話した。
私たちは、こういうところもすごくよく似ていて、小心者ゆえに相手に気を遣いすぎて、「あんたの日本語聞き取れん」とは言えなかったのだった。ただ、この時深く反省して、次から聞き取れない時はちゃんと聞こうね、と誓う。

アユタヤとバンコク近郊の観光地を巡った。
「おっはー!」と日本語の少し古いギャグを繰り出す象使いたちの象に乗ってアユタヤの街を歩いたり、様々な寺院や宮殿を見て仏像ポーズで写真を撮ったり、水上マーケットで猿を頭に乗せられて「300バーツ」を請求され本気で怒ったりした。
ユミコと過ごしていると、何もかもが楽しく、2人にしか分からないことでよく笑った。彼女とだったら、きっとどこに行っても、楽しい。不便なことや頭に来るような出来事が起きたら、一緒に文句を言ったり、怒ったりして、それでも最後には笑っていた。「こんなに文句言ってても、結局小心者じゃけぇ、うちら本人には言えんよねー。」ユミコはかわいい広島弁で言い、笑う。

やっぱり旅はどこに行くか、ではなく、誰と行くか、が重要だ。
一人旅も好きな私だが、思い返していくと、誰かと一緒に行った旅行の方がいいことも悪いことも含めて、思い出が多い。また、旅の思い出は誰かと共有していた方が、終わった後も長く楽しめる。悪いことだって後で話してみると、一緒に笑えるから。

今、彼女は広島で結婚して、2人の子供を育てている。
彼女といろんな国へ行ってみたいと思っていたが、結局あのタイ旅行が最初で最後となってしまっている。
でも、いつかまた、彼女と旅行して、一緒に笑いたい。
「夜お腹空きすぎて、明日の朝何食べようかって楽しみにしながら寝ることない?」と私が言ったら、爆笑して、「それめっちゃ分かるー。私もよくそう思って寝るけぇ。」と言ってくれた彼女と。

つづく。

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