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卒業旅行・イン・アジア(2)

卒業旅行第二弾の行先は、マレーシアのランカウイ島だった。
今度の同行者は、高校からの友達のシホとジュン。彼女たちとは、大学2年の春休みにもスペインを旅行している。

2月中旬。卒業を目前に控え、それぞれが就職先の研修や引っ越しなどで忙しくなる3月を避けて計画した。卒業旅行としては、二度目になる私だが、いよいよ「卒業」テンションが上がり始めていた時で、これが学生としての最後の気楽な旅行だ、という感慨もあった。これがいわゆる、「センチメンタル・ジャーニー」であろう。ただし、旅行自体は、まったくセンチメンタルなものではなかったが。

ランカウイ島。それはこの旅行の計画を立てる中で、初めて知った島だった。アジアのビーチリゾートといえば、タイのプーケットやフィリピンのセブが有名だが、このランカウイはそれほど日本人には知られていなかった頃だと思う。そのおかげなのか、ツアー料金も手頃だった。

実際、ランカウイ島は観光地然とはしていない、ひなびた島だった。
空港からホテルへの送迎車から見えた風景は、私たちが見慣れている長野県の田舎の風景とまったく変わり映えしないものだった。水田の中にいる水牛だけは、さすがに見慣れないものだったが。

ホテルも島の繁華街(といっても、地元民の使う食堂やスーパーくらいしかない)からは、離れた場所にあり、とても静かだった。ビーチには歩いて行けたものの、そこはプライベートビーチと言えば聞こえがいいが、地元民でさえ来ない辺鄙な場所、と言う方が正しいと思えるくらい、誰もいなかった。
ただ、女3人旅。しかも、元々田舎者で、都会での大学生活4年間も、派手な暮らしとは無縁だった私たち。そういう場所こそが、心から落ち着けたし、求めていた理想のリゾートだった。

そのリゾートでの過ごし方も、本当に地味だった。ホテルのプールやビーチで大半の時間を過ごした。買い物といえば、ホテルの近くの小さなお店で、ペットボトルの水を購入するついでに、リゾート風の派手なパレオみたいな巻きスカートやワンピースを買うくらいで、キャッキャッしていた。
余談だが、ああいうアジアで買うトロピカルな服は、日本ではまったく使えない。あんなに素敵に見えたのに、日常に連れ込むと一気にダサく見える。あの現象も、「スキー場でだけ2割増しカッコよく見える男」と同じ理屈なのだろうか。

一応、観光ツアーにも行った。
マングローブツアーとシュノーケリングツアーだ。観光も自然を生かしたものになる。というか、島にはほぼ自然しかない。
マングローブツアーのガイドは、ランカウイ島に惚れ込んで移住してしまったという、日本人のおじさんだった。現地人かと見まごうばかりに真っ黒に日焼けしたそのおじさん、マレー語と英語とを巧みに操り、現地の人に的確に指示をしていた。彼が言うには、最近は定年退職後に夫婦でマレーシアに移住する日本人も多いが、多くの人が現地の言葉ができないため、ホームシックや病気になって帰国する、らしい。
「移住ってね、そんなに簡単じゃないの。」と語る彼は、立派にツアーガイドという職を持っていて、私たちに丁寧にマングローブの説明をしていた。すごくたくましく生きる日本人だ、と思った。あのくらいじゃないと、外国に楽園求めて移住、なんてしちゃいけないんだろう。
マングローブの生態やら保護活動やらよりも、そのことが強く心に印象づけられたツアーだった。

シュノーケリングは、初めての経験だった。
安いツアーのせいか、シュノーケルのサイズがまったく合わなかった。そのせいで、何分かに1回外さないと、ゴーグルの中に海水が溜まった。そして、海水も飲みまくって、何度も口から吐く。終いには、もう魚なんて見なくていい、陸にあがりたい、と3人ともグロッキーになっていた。
私はあれ以来シュノーケリングをしていないが、本当はもっと楽しいものなのだろうか。いつかリベンジしたいものだ。

一度、島の繁華街にタクシーで出かけたこともあった。その時のタクシーの運転手のお兄さんが、「今日これから貸切でガイドしてあげるけど、どう?」という提案をしてくれ、それに乗った。彼は気さくな人で、我々も徐々に気を許した。夕方、地元の人が行くというシーフードレストランに連れていってくれた。ここの、シーフードが本当に美味しかった。ロブスターを塩茹でして、そのまま食べる。この時初めて知ったこの食べ方が、一番うまいロブスターの食べ方だと、今も思う。グラタンを入れたり、変なソースをかけるのは邪道である。
また、このお店のスイカの生ジュースが絶品だった。感動して3杯は飲んだ。
私とシホは今でも、「あのスイカジュースは、人生で一番うまいジュースだったね。」と話す。いろんな所でスイカジュースを頼んでみるが、あれほどのものにはまだ出会えていない、とも。
もしかしたら、ロブスターもスイカジュースも、思い出の中で相当美化されているだけなのかもしれないが。

そのタクシーのお兄さん、なんと食後には自分のアパートにも我々を連れていった。よく考えるとかなり危ない行動だ。でも、あののどかな島で、気のいいお兄さんを疑う気持ちには、3人ともなれなかった。それに、3人でいれば、もし何か不穏な事が起きそうになってもどうにかできるだろう、という目論見もあった。実際お兄さんは、自分が日本に行ったことがあるという証拠として、その時の写真を見せたかっただけ、のようで、無事ホテルに帰ってきた。
海外旅行に危険は付き物で、人を見たら泥棒と思え、は鉄則。でも、たまにはこんな風に人を信じてみたら、いい出会いがあるのかもしれない。

社会人までのモラトリアムでの、2回の卒業旅行。
自由で、どこか無責任でいられた大学生という身分を捨てるための、覚悟。もちろん、海外旅行に行ったくらいでどうにかなるほど簡単じゃないけれど、あれは確かにその儀式の一つだった。
そうやって社会人としての道を歩み出して、はや15年。
社会人、というか会社人を卒業する際にも、また旅に出るのだろうか。

その時には、私もランカウイ島で会ったあのガイドのおじさんのように、新しい人生をたくましく謳歌していたい、と思うのだ。

終わり。

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