漬け物

思いもかけない過去の自分に出会うことがある。

実家の物置に眠っていた、子供の頃の思い出の品。通信簿だったり、日記だったり、渾身の?自作漫画だったり。思わず読みふけり、忘れていた記憶がまざまざと甦った。

その中に、中2の時に書いた作文のオリジナル原稿があった。それは、作文というか、生徒会選挙に立候補した同じクラスの女子生徒に対する推薦文だった。

当時、生徒会の会長一人、副会長男女各一人を選出するため、各クラスから3名の立候補者をたてていた。そして、その立候補者はそれぞれ推薦責任者を任命した。
私は、女子副会長に立候補したTさんの推薦責任者となったのだ。

Tさんとは特別仲が良かったわけではない。経緯はよく覚えていないが、作文が得意で、人前に立つことをそれほど苦にしない、とかそういう理由で選ばれたのだと思う。

さて、問題はこの推薦文だ。

なんと、私は、クラスをお弁当にたとえ、Tさんは漬け物のような存在と、はっきり言っていたのである。
よりにもよって、副会長になろうという人間を漬け物のごとき地味な存在だ、と言い切った。
ご丁寧にも、「エビフライやカツのように目立つわけではないが、あると安心する」との説明付きで。

もちろん、論旨としては、クラスでも謙虚に思いやり深く働ける素晴らしい人だから、副会長になったら、地味で大変な仕事にも真摯に取り組めるはずだ、というもので、決してけなしているわけではない。
当然だ、推薦文なのだから。

でも、のっけからの、漬け物だ、というたとえが強烈で、後の言葉がすべて後付けのフォローのようにしか思えない。

想像した。当時から20年以上たって、やっと想像した。
中2の女子が、お弁当の漬け物にたとえられるツラさを。それが、全校生徒の前で晒される残酷さを。

そして、今さら想像できたとしても、すべては後の祭りである。

Tさんは、私のことをどう思っていたのだろう。
私だったら、嫌いになると思う。傷つく。でも、プライドもあるし、傷ついたことを絶対悟られないようにするだろう。

それなのに、私はこんな文章を書いたことを少しも覚えていなかった。もしかしたら、Tさんの中では忘れられない嫌な記憶として、今も残っているのかもしれないのに。

確かに、彼女は地味だった。女子のグループ内でも、あまり自己主張せず、皆に合わせられるタイプ。勉強はできる方だが、部活は卓球部で、他の活動でも目立つ功績があったわけではない。

かたや、私は学年でもトップクラスの成績で、女子バレー部の部長だったし、先生や男子とも気負わずサバサバと話ができるような、はっきりいって目立つタイプだったと思う。

ちなみに、Tさんは選挙に落ち、役員にもならなかった。そして、私は部活の顧問の強い後押しがあり、生徒会の役員(会計)になった。

そんな私が、Tさんのことを地味だ、と判断するのは、正直な気持ちだっただろう。
だが、中2なら、オブラートに包む、とか、盛る、とかできたんじゃないか?それをしなかったのは、単なる、いや、大いなる悪意だったのではないか?

そう考えると、恐ろしい。
我ながら、嫌な奴だ、と思う。

中2の作文を発見したことで、自分の中にある、人を蔑むという暗黒の感情と向き合った。
今も絶対あると思う。

大人になった今、確かにそういう自分がいるということを忘れないようにしたい。
その上で、その自分が表にでてきそうになったら、漬け物、漬け物、と唱えて、封印したい。

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