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嗚呼、憧れのアメリカ~LA編(1)

アメリカに憧れてる、というのはベタすぎてちょっと恥ずかしい。
今、そんなこと口に出す人は、なかなかいないのではないだろうか。

いつから、どうして、私がアメリカに興味を持つようになったのか、はっきりとは分からない。父親が好きだった西部映画の影響なのか、Xファイルやビバヒルなどのアメリカのドラマが好きだったからなのか、ブラッド・ピットのファンになったからなのか・・・
とにかく気づいたら、アメリカの文化が好きだった。明るくて、自由で、少しバカな感じ。

大学3年の夏休みに、1か月の短期留学をすることに決めた。
私は英米学科だったから、周りは留学する人が多かった。最低でも1年くらい行かないと語学は身に付かない。大体は大学を休学して長期で留学する。ただ、私にはそこまでの覚悟がなく、旅行気分に近い短期留学にした。どうしても英語を使った仕事をしたいという希望が薄かったせいもある。
さて、行先は?と考えたが、ほとんど迷わなかった。もちろんアメリカ、それも映画の都、ロサンゼルスにしよう。

当時、私が所属していたゼミの教授は、イギリス文化の研究を専門としていた。彼の授業が好きで選んだのだが、正直言ってイギリス文化にはまったく興味がなかった。研究希望テーマを当時観たイギリス映画の「モーリス」とからめ「ヨーロッパで同性愛が禁じられていく歴史を紐解きたい」とか言って、ゼミに潜り込んだ。まぁ、実際そのテーマで卒論を書いたし、同性愛への社会的な不寛容については本当に興味があったから、嘘をついたわけではないのだ。

だから、ゼミの他の子たちの留学先は、ことごとくイギリスとかアイルランド。いくら短期でも「アメリカ留学しまーす」とのん気に宣言しにくいな、と思った。でも、そんな一時の気まずさのために、我慢して、ジメジメした(勝手なイメージ)、それこそ「モーリス」の世界観の暗い国(これも勝手なイメージ)に行きたくない。

20歳、青春、ちょっとバカでも、明るい国、アメリカに行く!

短期留学は、往復の渡航費、語学学校の学費、ホームスティ先での費用などを含んだパッケージ商品で、専門の会社に申し込んだ。
私の語学学校は、UCLAのすぐ近くのウエストウッドという地区にあり、ホームスティするお宅はサンタモニカだった。
憧れのLAライフである。

ロサンゼルスに到着したのは、7月4日。
そう、アメリカ独立記念日だった。
ホームスティ先の家族は、教師をリタイアした初老の夫婦2人。彼らの息子たちが独立したため、空いた部屋を留学生に貸しているのだった。私がそこに滞在している間、私以外にもホームスティしている人がいた。
最初に一緒になったのが、レマンというトルコ系ドイツ人の女性。
到着した日に、彼女と二人でサンタモニカの街へ出かけた。休日に浮かれる明るい雰囲気の街で、今日初めて会った気の強そうな女と二人きり。楽しいわけがないのだ。ただこれからしばらく一緒に住むのだから、少しは打ち解けなくては、と気を遣い、英語で質問してみたりしたが、たいして仲良くなれなかった。

実際、1か月一緒に暮らしていて、レマンとはその後も仲良くなることはなかった。むしろ、お互い嫌っていたと思う。
だいたい毎日朝食と夕食は家で一緒にとっていたが、「あんたのクチャクチャいって食べる音がうるさい。」と面と向かって言われた。うるせぇ、お前の強烈すぎる香水の方が食欲妨げるんだよ、と思ったが黙っていた。共同でバスルームを使わなくてはならず、こちらも気を遣って早く起きてシャワーを浴びていたが、「早くしろ、時間が長い」と文句を言ってきた。私は今でもトイレやお風呂の時間は人と比べても早いから、絶対にあの女の自己チューな言いがかりである。
レマンが「あんたの国のテレビ、やってるわよ。」と部屋に私を呼ぶので、行ってみると、中国語だったこともあった。その時は、「ああ、そうだね。」と言って、心の底で「バーカ、お前なんか日本人と中国人の区別もつかないアホなんだよ。」と蔑むことで溜飲を下げた。

レマンへのストレスは溜まる一方で、学校生活は楽しかった。
語学学校には日本人が多かったが、フランス人やドイツ人、なかには当時聞いたこともなかったスロベニアから来たという10代の男の子もいた。
授業は午前中だけで、文法と会話のクラスがあった。入学時のテストで、レベルによってクラスが分けられていた。文法は一番上のクラスに入れたが、会話は中の上くらいのクラス。そのことが自分の英語力をよく示していると思った。文法はよく理解できているが、ヒヤリングが苦手なため、会話がスムーズにできない。ザ・日本人である。

日本人の生徒たちとはすぐ仲良くなり、一緒にランチに行ったり、午後のフリータイムにモールや映画に行ったりした。
家ではもちろんずっと英語、さらにストレス元のレマンもいる。日本語で気軽に話せる、その時間が一番リラックスできた。
語学留学に行って、日本人ばかりといたら、全然ダメだ。
それはもちろん分かっていたが、それでも彼らと過ごす時間を優先してしまった。どうせ1か月しかいないのなら、楽しく過ごしたい、と思ったのだ。

一度開き直ったら、前向きな私。
こうなったら、とことんアメリカ生活を楽しもう。
ここで遊ぶことも、それもまた勉強だ。

こうして、放課後や週末ごとに、遊びに出かけるようになっていった。

つづく。


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