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Happy Women's Map 長野県 日本初の新劇女優・美容整形女優・歌う女優・スキャンダル女優 松井 須磨子 女史 

-新国立劇場 / National New Theater Tokyo

「私はただ私として生きて行きたいと思うのです」
"I just want to live as myself."

松井 須磨子 女史 
Ms. Sumako Matsui
1886 - 1919 
長野県長野市松代町清野 生誕
Born in Nagano-city, Nagano-ken

松井須磨子女史は日本初の新劇女優であり、日本初の美容整形女優、日本初の歌う女優、日本初のスキャンダル女優の異名を持っています。
Ms. Sumako Matsui holds the distinction of being the first actress in Japan's New Theater, as well as the first actress known for undergoing cosmetic surgery, being a singing actress, and being involved in scandalous affairs.

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「信州の山から来た女」  
 須磨子(本名・小林正子)は士族の九人兄妹の末っ子として生まれます。6歳の時に用品店を営む長谷川家の養女となって上田尋常高等小学校を卒業。養父が亡くなったため実家に戻ると、実父も亡くなります。17歳の春に麻布飯倉の菓子屋「風月堂」に嫁いでいた姉を頼って上京、戸板裁縫学校(現・戸板女子短期大学)に入学します。すぐに親戚の世話で千葉県木更津の旅館兼小料理屋・鳥飼万蔵と最初の結婚をするも、病気がちを理由に舅に疎まれ1年で離婚。さらに万蔵から性病をうつされ病院通いをしますが、そこで家庭教師をしていた婚約者のいる東京高等師範学校の学生・前沢誠助と知り合い、略奪再婚します。夫が東京俳優養成所の日本史の講師となったことから、正子も女優を志願するようになります。その頃、東京では新しい演劇「新劇」運動が興って女優解禁になり、演劇が最先端の芸術として注目されていました。

「最先端の女」 
 正子は最先端の女になるべく坪内逍遥主催の演劇研究所に応募するも、美貌と学歴の欠如を理由に拒否されます。そこで正子は当時の最新美容整形技術である鼻筋に蝋を注入する隆鼻術を実行、熱心さを買われ入所を果たします。2年の修養期間を経て25歳の時に松井須磨子として『ハムレット』でオフェリア役に抜擢され帝劇デビュー。『人形の家』の主人公ノラを演じて評判になり、地方各地で巡演を行います。直後に舞台監督で早稲田大学教授で妻子ある島村抱月との不倫スキャンダルを起こし、恩師逍遥はじめ仲間を裏切って演劇研究会を解散に追い込みます。沢田正二郎とともに芸術座を旗揚げすると、2人は同棲生活をはじめます。須磨子は誓約書を交わして抱月に妻との離婚を迫ります。『復活』のカチューシャ役で劇中の接吻また抱擁ならびに劇中歌『カチューシャの唄』で須磨子は人気女優となります。『生ける屍』の劇中歌『今度生まれたら』は文部省による猥褻発禁レコード第一号を記録、かえって大ヒットとなります。

「新しい女」
 須磨子は座員の弁当を手作りして芸術座からの賄費用を懐にいれたり、噂を立てられるようないろいろな客席へ招かれたりして貨殖に励みます。周囲のあらゆる人たちを口汚く罵って喧嘩が絶えない上に、抱月が他の座員の育成に取り掛かると妬みからさらにわがままを言ったり他の役者を罵倒します。スペイン風邪で抱月が病死すると、通夜の席で抱月の妻を指差してののしり、また抱月の娘たちが芸術座へ生活費を受取りに来ると門前払いにして水を浴びせようとします。芸術座は解散、須磨子は抱月の後を追います。遺書では恩師の逍遥また抱月の妻に、抱月との合葬を要求します。自由奔放に生きる須磨子に、甘んじて受け容れてきた既存の常識・道徳意識を、また自己の意識そのものを大きく揺さぶられた女性達は少なくなく、須磨子は新劇の大衆化ならびに新しい女の道を開きました。

-新国立劇場 National New Theater Tokyo
-『随筆・松井須磨子 : 芸術座盛衰記』川村花菱 青蛙房 1968年


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