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Happy Women's Map 愛知県名古屋市伊勢町 世界初女性柔道家 小崎 甲子 女史 / World's First Female Judo Expert, Ms. Katsuko Kosaki

-International Judo Federation

「私は道場にただの習い事をしにきたのではありません。私が目指すのは、黒帯、世界初の女流柔道家なのです。」
"I don't come to the dojo just for a hobby. What I aim for is a black belt, the world's first female judoka."

小崎 甲子 女史
Ms. Katsuko Kosaki
1908-1997
愛知県名古屋市伊勢町 生誕
Born in Nagoya-city, Aichi-ken

小崎甲子女史は日本女性初の柔道の有段者(黒帯)で、女性初の柔道錬士。武徳会において男性と同じ条件で昇段試験を突破、追って講道館も初段を授与。柔道のジェンダー概念を覆す快挙は、女性柔道家の道を切り開きました。
Ms. Katsuko Kosaki is the first woman in Japan to achieve a dan rank (black belt) in judo and the first female Judo Renshi. She successfully passed promotion examinations on equal terms with men in the Butokukai organization, and later, Kodokan awarded her the rank of Shodan (first-degree black belt). This groundbreaking achievement challenged the gender norms in judo and paved the way for female judo practitioners.

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「柔道大学」
 甲子は名古屋市伊勢町(現在の中区丸の内)の美術商「清源堂」の次女として誕生。幼少期から活発で金城女学校在学中は様々なスポーツに打ち込みます。女学校を卒業後は実家の美術商にて家事手伝いをしながら、家事や稽古事を習いつつ縁談を待ちます。そんな折、古書店で偶然手に取った柔道の解説書『柔道大学』に感銘を受け、柔道修行を志します。最初は鶴舞公園の近くにあった大日本武徳会愛知支部の道場を稽古のない時間に借りて『柔道大学』を教本に一人稽古を行います。3か月程繰り返すうちに道場主に認められ、19歳で武徳会愛知支部への入門を果たします。武徳会愛知県支部は、一般の町道場とは違って全国大会での優勝者や柔道専門学校の卒業者も在籍し、近在の道場主や学校の体育の先生たちも集まるような、いわば専門家や名手の多い別格の道場でした。女性の相手は一人もおらず、紅一点で男性の間に只一人交じって修行を続けます。昼夜2部に皆勤し、新進気鋭の柔道家また大島耐二・長谷川泰一はじめ壮壮たる高段者の先生方の指導をどんどんお願いし、一寸の間休んで呼吸を整えるとまた次の練習に移ります。2年間の稽古を経て、さらに柔道に専従する意志を固くし、大阪府柔道連盟会長かつ天神真楊流師範にして『柔道大学』の著者・戸張滝三郎に手紙で弟子入りを請い、大阪の戸張の道場「尚武館」に内弟子として入門を許されます。昼間は戸張の経営する接骨院で下働きをしながら、夜間に他の門人と共に稽古に励みます。道場が休みの日にはその日稽古をしている町道場を訪ねては猛練習に明け暮れます。疲れという言葉は全く無縁で、一夜熟睡すれば爽快そのもの。

「柔道の虫」
 甲子は男性に混じって分け隔てなく乱取稽古などを行うことを認められます。茶色帯がぼろぼろになって芯の白地が勝ってきた頃、昇段の望みを抱くようになります。師の戸張は小崎の希望を酌んで大阪有段者会の会合はじめ中央の講道館に交渉に当たると共に、甲子は休みの日に積極的に他の町道場へ出稽古に赴くようになります。前代未聞の女性の柔道昇段試験に先生らも当惑した結果、甲子23歳のときに、武徳会大阪支部にて男性相手に男性と同じ基準での昇段審査を認められます。甲子は眠られぬ夜が続きます。「女性が力で頑張ったところでたかが知れている。」長いトンネルの遠方に小さな光をみつけます。「連続技だ。これよりほかに道はない。もう迷いはない。」それからは猛練習あるのみ。機先を制して相手の十倍も動き廻り、相手をきりきり舞いさせておいて最後に得意技で仕止めます。甲子は24歳5度目の挑戦で男性3名を破って大日本武徳会初段を認められます。女性として初の柔道黒帯取得者を許されると、うれし涙で黒帯がみえなくなりました。当時、柔道段位は講道館と武徳会の二か所から発行されており、東京で嘉納治五郎が開いた講道館も追って甲子に講道館初段を認可。講道館も否応なく女性の段位規則の制定を進めることとなり、芥川綾子と森岡康子が初段に、乗富政子が初の女子二段になります。29歳で甲子は師の戸張の後援を得て大阪市天王寺に道場「清源館」を開設、女性初の柔道道場主となり、31歳で武徳会から女性初の柔道錬士となります。父の死を受けて道場を畳んで名古屋に帰郷、母と共に2代目清源館ならびに清源館道場を開き、名古屋大空襲を乗り越え73歳で講道館五段。日本女子柔道会最高名誉顧問、愛知県柔道連盟参与などを歴任して88歳で逝去。「烈風に吹かれてもつれ月光にきらめく柳の風情を自分自身の身体で表現出来るようになろう」と「柔道の虫」になりながら、生涯を通じ1万人の教え子を育てます。

-武徳会 Dainippon Butokukai
-講道館 Kodokan
-International Judo Federation

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