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「恥ずかしがり屋のピアノ」

「あれ?このピアノ音が鳴らないよ?」

旧校舎の2階。
久しぶりに友人とお酒を酌み交わし、
酔った勢いで母校に忍び込もうという流れになった。

深夜の音楽室。

「大きな音を鳴らしたら気付かれちゃうぞ!」

そんなAの警告も、酩酊した脳には届かない。
目の前のピアノに手を触れたが音が出ない。

「壊れてるのかな?」

そう言ってAが鍵盤に触れると

「ジャーーーーン!!!」

思わぬ轟音に思わず耳を塞ぐ。

「っんだよ、なるじゃねーか!」

一気に酔いが冷め、大きな音に苛立ちすら覚えてしまう。

「そういえば……」

酔いが冷めたことで
忘れていた記憶が呼び起こされた。

ーー
在学中に聞いた昔話。
ピアノが好きな男の子。
発表会を控え、放課後によく練習をしていたそうだ。

本番当日。
プロのピアニストをしていた父からの期待。
一人息子への過剰とも言える愛を注ぐ母。

(喜ばせたい)

両親の期待に応えようとするのは、子の本能なのかもしれない。
そんな想いはプレッシャーとなり、
あたりまえのように使えていた頭や手足を硬直させる。

体は冷えているのに、汗が出る。

いつもの力で鍵盤を押そうとするが、
緊張という名の群衆が、それを阻む。

「……♩」

観客が耳を傾けるほどの微かな音。
できないよ、、、ぼくできない。

恥ずかしさから失禁してしまい、多くの大人が周りに集まってくる。

それからというもの、
男の子はピアノに限らず、
何をするにも人から見られているということを意識してしまい、
身動きがとれなくなってしまい挙句の果てに……。
ーー

それからその子がよく放課後に練習していた音楽室のピアノは、
打ち鳴らす者の「自信」の大きさに共鳴し、
音量が変わってくる不思議なピアノになってしまったという。

大きく打ち鳴らしたAは、プロのピアニスト。

「そりゃあんな大きな音になるわな」

でも……。

かくいう私も少しは弾ける。
なのになぜ、音が鳴らなかったんだ……?

「自信」

そうか。

無音の理由に思い至る。
久しぶりにAを呼び出し、誰もいない校舎へと連れ出した。

ある日
SNSでたまたま見かけたAへの想い。

(打ち明けてもいいのだろうか?)

迷いと憂を含んだ感情には、
自信という成分は含まれていなかったのだろう。

(私がそんな気持ちなら伝わらないよな。)

恥ずかしがり屋のピアノに見せつけられた
自分の覚悟のなさ。

そよ風に吹かれたら消えてしまいそうな霞のような想いは
誰もいない校舎の暗闇に見えなくなってしまった。


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