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誰にも教わらず、現場で学んだこと。

またしても一ヶ月ぶりのnote。

そうだな、3月4月って忙しいんだね。36年生きてきてようやくこの時期が忙しいということに気がつきました。おそい。

かといって暇だ〜、という訳でもないがこうして文章を綴る時間はあるようだ。昔はもっとコンスタントに文章を書いていた。一体何書いていたんだろうと最近少し見返してみるとただただ同じようなことをダラダラダラダラ書いている。わかい。

やりたいことに対して、自分自身の成長が追いついていなかったのだろうな、自分に自信がなかったのだろうな。

悩みがあれば書くことは増える。

最近悩みがない訳じゃないが、悩みがあってもダラダラ文章を書くよりも行動したほうが早いことを知っている。

結果、そこまで大した悩みはない。

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今年、楽しみにしていたイベントが一つなくなってしまった。

ま、やるかどうかもわからずに宙ぶらりんの状態が続いていたのでなくなるのかなぁって思ってはいたけれど。

人はなんて気まぐれだと思う。僕も気まぐれだが

しかしそのイベントの為にちょこちょこアートイベントへ立ち寄り、いろんな作家を見て回っていた。

なくなっちゃったけど、楽しいから続けている。

そんなこんなで今日も朝から京都へ。

artDiveというアートイベントへ行ってきた。

実は僕、こうしたフリマのようなアートマーケットがめちゃめちゃ好き。

出ているジャンルとかは本当に関係なく好き。

僕は19の頃から梅田の路上で絵を売ったり、手づくり市やコンペまで様々なイベントに出店し続けてきた。

その影響から、皆が壁やテーブルを借りて作品やグッズをこしらえて臨むこうしたイベントが自分でも意外な程好きで、実はいつかあんな大きなイベントを企画してみたいと思っているほど好きだ。(マジで)

初めて人前に絵をだす作家から、SNSの人気クリエーターまでが分別なく並ぶ。

隣が人気者だったりして人だかりができ、自分のブースの前まできてしまうとたまったもんじゃない。何故自分はこんなに人気がないのだろうと凹む経験をした作家も多いだろう。

もともと美術学校や高校すら出ていなかった僕にとって、現場が全てだった。

同じように絵を書いている仲間がいなかったし、どこへ行けばそんな仲間たちと出会えるのかもわからなかった。て、ゆーか仲間がいないことさえ多分気づいてなかった。バカだからね

初めて路上で絵を売り始めた日のことは今でも忘れない。

確かちょうど17年前の今頃だ。飲み屋が多い阪急梅田東通り商店街の入り口、富国生命ビルの前。アーケードの下に路上で活動する作家が定期的にポストカードなどを並べたりして売っているのを知っていた。

が、その日に限って誰もいない。せめて誰かいれば「隣でやらせてもらっていいですか?」なんて声をかけることができただろう。こーゆー時、僕はいつも孤独だった。

午後7時、多くの人はこれから居酒屋に向かう。沢山の人が行き交う中で路上に布をひく。その上に当時描いていたポストカードイラストを並べる。恥ずかしすぎて前を向けない。初めて全くの見ず知らずの人々に自分の絵を晒した。初日だったが、優しい人たちに数枚のポストカードを買ってもらえたことを覚えている。

こうして僕はアートイベントでも何でもない、まさに地べたから活動を始めた。しぶとい訳だ。

そうして週に何日か、バイトの休みの日には路上に行く日が続いた。自然と、同じように活動していた作家たちとも仲良くなれた。それまでただ見ているだけだった僕が見られる側へまわった。

そんな感じで路上や手づくり市のようなイベントへも出店を重ねて少しづつ少しづつ知り合いが増えていった。それがカフェギャラリーやギャラリーへの展示へと変わった。

様々な場所で友人や仲間ができて、今も周りにいる人々の影響は計り知れない。そんな僕だから、前述したアートイベントをいつか企画してみたいと思ったり、今まさに運営しているギャラリーのような場所を作らなければならなかったことは必然なのだろうな。

今日行ったイベントも本当に沢山の作家が出店していた。

緊張して目も合わせられない人、変にショップ定員のような口ぶりで接客する人。アトリエ三月で展示してくれたことのある方々もちらほら。

1人でも多くの人に知ってもらおう、グッズをいっぱい売ってお金儲けよう、大きな仕事に繋げよう。

一人一人が目的を持っている。そんな現場(シーン)を作ること、いつかできたらなぁと今はぼんやり思っている。

大阪で絵画制作や美術活動をしつつ、ARTspace&BARアトリエ三月を運営しています。サポート頂いた分は活動費やスペース運営費として使用させて頂きます。全ての人がより良く生きていける為に 美術や表現活動を発信し続けます。