神さまがよく出てくる話でした

 私H自身は、神さまの話が好きで、よくします。
 映画の企画のきっかけになった、ボート会社のボスも、神さまの話をよくする人でした。クリスチャンだったし、米国生活が長かったし。牧師さんたちの釣りクラブを運営していた事もあるみたいだから(確かメンバーは120人)、神さまが会話に出てくるのはごく日常だったんでしょう。

 しかし、ここは日本だし、神さまに関しても、好きな人、嫌いな人がいます。それは日本に限らずでしょうが・・・。

 今の、映画の企画をしているメンバー3人だって、決して神さまを嫌いな3人じゃないのですが、まあ、映画をより多くの人に見てもらうという目的も考えて、神さまの扱いをどうするか、最初にちょっと話をしました。
 結論的には、一般的な日本人の多くが見て不快に感じないように作る・・・というようなコンセンサスに至ったと思います。そのように明文化して話したわけではないですが、あえて言葉にするならこんな感じだと。
 それは、神さまに限らず、仏さまでも、無神論でも。とにかく、作品として「見られる」という第一義的な機能を果たす上で、必要な要素としてのテーマだとか表現ですね。それを選択する・・・というような話をしました。こういうのって、ちょっと、珍しいですよね。笑

 それっていうのは、きっと、多分・・・この、海のメッセージっていうのが、やり方によっては宗教っぽくもなるという可能性を孕んでいるからなんじゃないかと思うんです。

 『風の谷のナウシカ』っていう作品ありますよね。
 巨大文明崩壊後、地球にわずかに残された自然の中で細々と生きている人類の前に希望の少女ナウシカが現れるお話し。
 監督の宮崎さんが一番氣をつけていたのは「宗教っぽくならないように!」っていう事だったそうですが、作品公開後、開けてみるといろんな 宗教団体から講演依頼が来ちゃったそうです。笑
 まあ、救世主を描いた話ですからね。宗教者は、自分の信じる教えの教組さんが重なったりして・・・仏教で言えば弥勒菩薩とか・・・時代もそういう時代ですし(釈迦滅後56億7千万年後=人類人口がその数値に達している)・・・テーマを選んだ瞬間から、そうなるのは当然と言えば当然だったようにも思います。

 だから、作品のテーマ自体によっては、どうしても神さまとか、宗教的な要素を孕む事があるていう事なんだと思います。
 この作品は、どうなるでしょうか・・・。

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