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自由とは何だろうか、考えてみた。

(写真は40年ぐらい前に横浜・鎌倉・江ノ島に一人旅に行った時のもの。もちろん、フィルム。江ノ電、江ノ島の昔の光景。)

多くの縁ある人に言っていることなんだけど、楽しんで生きることを推奨している。あるがままの自分を受け入れて、他人の目を気にせず、自由に生きることができれば、こんな最高なことはないだろう。世間の基準は自分の基準とは違う。だから無理に合わせることはない。かけ離れていたらどうしようなどと考える必要もない。

自由に生きるといえば、昔、先達に「責任が伴うよ」と言われた。義務と責任を果たした上に自由が存在するんだと、教えられた。こんな自由ならいっそのこといらないってそのときは思った。責任と義務があることは知っている。それをしなければ自由に振る舞えないなんて、絶対おかしいと思った。

「自由に感じ、自由に考え、そして自由に行動する。」それが自由のベースだと思っていた。行動に責任が伴うかもしれないし、行動に義務があるかもしれない。自由に行動をとった結果、何らかの責任が生じることもあるだろう。そうなってしまったら、ぼくはしっかり受け止め、責任を果たすことにしている。

自由の根底にあるもものは一体何なんだろうとずっと考えてた。それは、思いやりや愛情なのだと確信できた。

いくら自由に行動しても、周囲や相手が不快なら、相手に迷惑をかけると思ったなら、行動しないことにしている。

周りのことを、受け止める、キャッチすることは大事だと思うし、それがないと自由の価値は半減するように思う。

相手や周囲のことを気にするのではなく、思いやりという自分の真の思いを持つことだと思う。それが「自由」の本心だと思う。

思いやりの程度は、相手にもよるし、自分の今置かれている状況によっても違う。愛情が深くなれば、思いやりも強くなるだろう。騙された、傷ついた後には思いやりを持てない状態になるかもしれない。

でも「自由」になれると、おもねることもなく、他者を気にすることもなく、比較することもなくなる。

そして、

思いやりとは「慈悲」にとても近い。

慈悲とは仏教では、苦しみを取り除いて(慈)、楽しみを与える(悲)ことと考えられている。与える自由を内包していて、もらう自由とか表現する自由とは少し距離がある。

心の底から出るもの、それが慈悲であり思いやりと言える。

心の底から溢れ出すもの、それを「自由」という。

慈悲深い人はもうそれだけで自由な人なんだと思う。
思いや行動が、心の底から溢れ出すんだから。
制約も何もない。


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PS,慈悲深い仏様と自由な空気のある鎌倉・江ノ島は今も好きです。

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