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尊敬している人について

生きていく過程において、会った回数などは関係なく「尊敬している人」は存在するのではないでしょうか。私にも人格者として尊敬する人が三人います。そのうち一人の方は器が大きく人としての優しさを絶やさないという面で尊敬しています。二人目の方は逆境に負けない愚直な精神性を尊敬しています。三人目の方は、環境によって落としてしまう命を救うという求道に対する姿勢を尊敬しています。


なぜこの話をしているかというと、ぴぷるのドラマ化にあたり、昨日新聞や雑誌のインタビューを受けさせていただいたのですがその際に「哲学的なテーマを書く意義」や「伝えたいことは何か」という質問があり、ふとそのことについて考えたからです。私が尊敬している人たちは皆「スモールワールド」的な視点を大切にされていて、個人主義的であったとしても遠くでは他者との共有、共感を見据えていらっしゃるからです。昨日受けた質問はまさに「共有」が根底にあると思い、そのことについて考えたのでここに記述します。

誤解を恐れずに言うと、私には伝えたいことがあまりありません。説明すると「これが絶対に正しいという強い思想」が基盤にあり、その考えを啓蒙するために書いている訳ではないからです。強烈な熱を自分の中で維持することが難しいので、これはずっと変わらないように思います。

ではなんのために書いているのか、と考えると問題意識があるからだと思います。どういうことかと言いますと、「正解がなんであるかは人によって違うだろうが、考えなくてはいけない」という問題意識です。これはあらゆることに当てはまります。例えば、人生観だったり政治だったり、ジェンダー問題だったり、働き方だったり倫理観だったりいろんなことが当てはまるのですが、どのような考えを持っているか、その考えの善悪云々よりも「当事者でない」という意識が一番問題を深刻化させると捉えています。自分と遠い問題に関して当事者意識を持つことは非常に難しいのです。つまりそれを乗り越える、アンガジュマンが必要だと考えているのですが、哲学的なことは知識として頭では理解できても、理解と体感の間には高い壁があると痛感しています。

哲学者の岡本裕一朗先生が書かれた「哲学の世界へようこそ。答えのない時代を生きるための思考法」はまさにこの問題を解決するアプローチがなされているのでぜひお勧めしたいのですが、やはり自分に近くない問題について、当事者意識を持って考えるということは非常に難しいので、その突破口としてエンタテイメントが有効であるとように私は考えています。

つまり、外側はエンタメでコーティングして哲学的なテーマを展開すると、当事者意識を持たなくても自然とそのテーマに対してなにかしらの感想を持てるのではないか、ということです。この「感想」は極論を言えばなんでもよくて「感想を持ってもらう」ことを重要視しているように思います。コメディが好きなのでコメディしか書いていませんがこれは「二重の受け取り方ができる」「間口を広げることができる」(内在的テーマに気づかずとも楽しめる)という「問題を真正面から考えるよう仕向ける」というアプローチへの不信感がこのような形で表れているのだと思います。ピーマンをすりつぶしてハンバーグに入れる的なことです。

冒頭に話した尊敬している人、に話は繋がるのですが自分としては共有したいこと、伝えたいことはこの「問題意識を持ってもらうこと」に終始するように思います。現代的なモチーフで本質的なことを描くのが好きなのはこの問題意識の拡散を意識しているからでしょう。


■5月よりWOWOWにてドラマ化決定!AIとの結婚生活を描いた京都SFコメディ

「ぴぷる」

全12話・主演:梶裕貴×八代拓さんによるオリジナルWEBドラマ「耳で楽しむ小説ぴぷる」はこちらから聞くことができます。


■366日。日めくりで哲学者の教えと出会う

「まいにち哲学」

■第五回京都本大賞受賞。一度きりの人生について考える、哲学エンタテイメント小説 「ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。」

■やわらかスピリッツ連載中(コミック)

「WeTuber おっさんと男子高校生で動画の頂点狙ってみた」

■LINE漫画連載中。(コミック)第三回カクヨムWEB小説コンテス大賞受賞作品

「アラフォーリーマンのシンデレラ転生」

■オンラインサロン

DMMラウンジ「この哲学がスゴい!」

https://lounge.dmm.com/detail/242/

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