あの子がスーパーマンに見える病


私は精力的に活動されている方とご一緒したときに、たまに自分の不器用さというかだらしなさみたいなものを掘り起こしたような気持ちになることがあります。

これは完全なルサンチマンの一種なのですが、実際にお会いしたことがないような人でも、精力的な人をみて自分のエネルギー値の低さやポテンシャルの低さを「どうしようもない不動なもの」のように捉えてしまい、自分の社会性の無さにがっかりしてしまうことがあります。具体的に言えば、マルチタスクをやりきることが出来ないという自分のだらしなさにがっかりする、というわけですね。

気分の変わりやすさがそうなっているのか、集中力の無さでそうなっているのか、原因をつくりだすことはいくらでもできるのですが、原因探求に納得して自己正当化しても虚しいので少し考え方を変えます。

この「あの子がスーパーマンに見える」という症状が出たときに何が一番困るのか、というとなにが欲しくて、なにに執着しているだけかがわからなくなる。ことです。

例えばなんですが、インスタでいつもハイブランドの洋服をきている人を見ると、自分は別にハイブランドに普段固執していないのに、「ハイブランドの洋服をきていない自分」が虚しくなってくるようなものです。これは物質的なものだけでなく、生活スタイルなんかもそうだと思います。

企業でバリバリ働いている人、子供と温かい家庭を築いている人、自由に海外を飛び回っている人、自然の中で穏やかに暮らしている人。

自分の生活スタイルと違うという「差異」自体に価値を置いた瞬間に、それらすべてのものは過大な価値を持ちます。

実際に自分が欲していなかったものも「差異」があれば輝かしい幸せのように目に映るのです。自分の手に入っていないものを目の前にして、自分も心底欲しいか、欲しくないかを考える前に「手に入れていない自分はダメなんじゃないだろうか」という衝動に飲み込まれてしまうという状態です。

この問題に関してエリック・ホッファーというアメリカの哲学者の言葉でぴったりのものがありました。

「本当は欲しくないものを与えられずに、感情を害することが何と多いことか!」

実際になにが欲しくて、なにが欲しくないかというのは衝動的な反応で見極められるものではないと私は思っています。「欲しい」と思うことで動く感情もあるし、「手に入っていない現状」を悲しむことで手に入る感情もあるからです。

仮に「感情の機微を得る」ことが自分の中で暇つぶしのいいツマミになっているのだとしたら、より感情が動く方向に、自分の思考が偏るように思うからです。もしかすると輝かしく見えた「差異」の中に自分が本当に欲しいものが含まれているかもしれませんが、それが本当かどうかは反応だけでははかり知れず、じっくり向き合ってみることや、追い込まれない限り見出すことは難しいのではないかな、と思いました。劣等感に突き動かされた欲望はまゆつば物として傍観するくらいがいいのかもしれません。


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原田まりる

作家・哲学ナビゲーター■第五回京都本大賞受賞『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』(ダイヤモンド社) 11/12コミカライズ一巻発売!■連載:「ダ・ヴィンチ」にてAIを描いたSF小説「ぴぷる」発売中■NHK「人間ってナンだ?超AI入門」レギュラー出演中

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コメント2件

すごくよくわかります。
ありがとうございます!!すごく嬉しいです。
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