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家系図作成のススメ。戸籍取り寄せで江戸時代までさかのぼる。

平成も終わろうとする2019年4月中旬、自分のルーツを探るため家系図作成に着手しました。2ヶ月弱かけ、9自治体に計25通の戸籍を請求し、たどれた先祖の人数130人。江戸時代(1800年ごろ)までさかのぼって6世代前までの家系図を作ることができました。

戸籍がどのぐらい眠っているかを知ること、戸籍を読み取って系譜を明らかにすること、どちらも調査の醍醐味があります。戸籍には保管期限があるので、興味ある方はなるべく早く作ることをおススメします。ここでは、私が実践した経緯を記録したいと思います。

きっかけ

私自身、もともと家系・ルーツにあまり興味がなかったのですが、ここ数年大河ドラマにどっぷりハマり、特に昨年の『西郷どん』で幕末に魅せられ、さらに半藤一利さんの『幕末史』『昭和史』などを読みふけっているうちに、この激動の時代を生き抜いた自分の先祖のことを知りたくなりました。両親とも末っ子だったからか家系のことにあまり関心がないようで、家系について聞いても「詳しくはわからない」という感じでしたが、東京生まれの父の祖父は佐賀県生まれ、祖母は山口県生まれということは数年前にわかったので、知的好奇心の火は大きくなっていました。

一冊の本に出会った

ルーツを知る方法は親戚に聞くしかないのかな…でもあまり期待できないな…と思っていたところ、一冊の本に出会い、背中を押してくれました。

家系図作成業務を行っている行政書士さんが書かれた本で、自分で戸籍を取り寄せて家系図を作ろうという内容。この本によると、

・戸籍には保管期限がある(除籍になってから150年)
・先祖の戸籍は全国の役所に眠っており、直系子孫であれば取得できる

自分でもある程度できるんだということ、そしてルーツを知りたければ早めに取りかからないといけないということがわかり、行動に移すことにしました。

戸籍を取得する方法、郵送での取り寄せ方

現存する最古の戸籍にたどりつくためには、戸籍をひとつひとつさかのぼることが基本です。戸籍は本籍地のある自治体に保管されているので、まずは自分の戸籍をとります。戸籍を請求する際「さかのぼれるだけすべて」と申請すれば、その役場に保管されている戸籍をすべて取得できます。ずっと何代も同じ場所に住んでいる家系なら、1回の手続きで完結します。

私の場合、父方の先祖がそれなりに移動していたので、さかのぼった戸籍に記載されている「この戸籍の前に、どの戸籍にいたか」を読み取って、その役場に郵送で請求していきました。郵送の場合は各自治体のWebサイトで方法を調べます。手続き方法はどこも同じでした。

<郵送での除籍謄本請求で必要なもの>
・自治体が用意している請求書(PDFを印刷して記入)
・欲しい戸籍と自分との関係がわかる戸籍のコピー
・身分証明書のコピー
・定額小為替(郵便局で購入)
・返信用封筒と切手(2通以上もらえそうなら92円切手が◎)

ではここから、それぞれの戸籍から得られた情報を簡単にまとめてみます。とはいえ、文字だけ追ってもわかりにくいのでまずは結論から。下の図は、今回調査した戸籍を簡略化したものです(さらに細かい図は最後に)。
一番下が私で、6代前までさかのぼっていることがわかります。自力でここまで判明できたのは驚きました。

ここからは、実際の戸籍の一部を見ながら解読していきます。両親の祖父母を追っているので全部並列に解説するとわかりにくいため、父方の祖父を中心に見ていきます。
※注 戸籍を正確に読めないので、間違っている解釈があるかもしれません。ご了承ください。

1代前の戸籍

1通目:長野県須坂市
私の場合、妻とは事実婚のため父の籍から抜けていません。よって父の本籍地である長野県須坂市に請求。父は「上高井郡小布施町より転籍」とあるので、次は長野県小布施町役場に請求。

・父方の祖父母は原耕造、アイ子
・母方の祖父母は丸山尭、恭子

2通目:長野県小布施町
小布施町はお隣の自治体なので、直接役場へ行って取得。祖父の戸籍が東京都中野区で、父は中野区から籍を外れ小布施町に転籍したことがわかりました。次は中野区へ郵送で請求。

2代前の戸籍

3通目:東京都中野区
祖父・原耕造の戸籍。

ここから枝分かれになる情報が。

原耕造は荒川区日暮里から転籍
原耕造は昭和4年原二郎の養子に。佐賀市古川武夫より入籍
・原耕造の実父は古川俊英
・この時点で古川武夫古川俊英の関係は不明
・父方の祖母アイ子の父は茂助。前の戸籍は山口県豊浦郡(現下関市)

祖父耕造は中野区の前は荒川区に籍があったということで、荒川区に請求。また、昭和4年に原家に養子に入り、もともとは古川家(佐賀県佐賀市)だったことが記載されています。佐賀市にも請求。祖父が古川家の養子に入ったことは知っていたので、順調なさかのぼり。ここからは、

・家系(
・血筋(古川

の2系統をたどることにします。

3代前の戸籍

荒川区と佐賀市に郵送で請求したところ、両役場から相次ぎ電話が。それぞれ3通ずつ保管されているとのこと。送った定額小為替は各1通分(750円)なので、不足分2通ずつを追って郵送しました。なお、自治体によっては、一連の戸籍を請求する場合為替を3,000円程度(4通分)ぐらい送ってくださいとアナウンスしているところも。

4通目、5通目:佐賀市(古川家系)
古川武夫は、古川俊英の長男であることが判明。

・曾祖父古川俊英の長男は古川武夫

6、7通目:荒川区(原家系)
祖父・耕造の荒川区での戸籍。特に新しい情報なし。

4代前の戸籍

8通目:佐賀市(古川家系)
古川俊英の戸籍。生まれが「安政3年(1856年)」となっていて、いよいよ江戸時代。「前戸主・亡 古川才助」と書かれており、血筋での高祖父が判明。才助の生年月日は記載されていませんが、俊英の母・サクは文政11年(1828年)生まれです。これで約200年近くさかのぼれました。

・曾祖父古川俊英は安政3年(1856年)生まれ
・高祖父は古川才助
古川才助の妻・サクは文政11年(1828年)生まれ
・サクの父は、森 喜右エ門


9通目:荒川区(原家系)
さて、家系での曾祖父・原二郎は明治6年生まれ。西郷隆盛と大久保利通が袂を分かつ「明治六年の政変」の年ですね。
二郎の父の欄に、「父・亡 七戸與十郎」となっており、よく見ると「七戸氏廃家」となっています。廃家とは、旧民法で相続人がなくて家が絶えることまたは、自分の家を廃することだそうです。七戸二郎が指定家督相続人として、隠居した原サトから相続し原二郎になったようです。原サトの父は原清七。原サトは直系の親族ではなく、養子縁組もしていないのでこれ以上さかのぼるのは難しいそうです(直系でないと戸籍は請求できません)。

・曾祖父は原二郎(明治6年生まれ)
・曾祖父原二郎の実父(高祖父)は七戸與十郎
・曾祖父原二郎の前戸主は原サト(二郎との関係不明)
・祖父耕造の実父古川俊英の妻キワと、養父原二郎の妻ハルは姉妹
・キワとハルの親は古川又蔵。おや、古川姓がつながった

血筋と家系を追っていったら、意外と原家と古川家は近いようです。

そろそろ文字が読みづらく、さらに関係性も複雑な感じになってきました。
東京市日本橋区通(現中央区)、佐賀県東松浦郡(現唐津市)という記載があるので、それぞれの役場にさらに請求。

なお、古い戸籍は手書きなので、読みとるのがなかなか大変。肝心な名前が読めなくて困ったのですが、Twitterでヘルプしたら数分で解決しました。ご協力いただいたみなさん、ありがとうございます。

別の戸籍の調査中、役場の方は親切にも「戸籍六法」という本で変体仮名を調べてくださいました。

5代前の戸籍

10通目:中央区(原家系)
中央区に送ったものは、これ以上さかのぼれず打ち止め。

11通目:唐津市(原家系)
こちらもこれ以上古い情報はなし。

原家をもう1世代はつきとめたかったので、残念です。

父方の祖母の家系

12~17通目:山口県下関市
父方の祖母アイ子の戸籍は山口県豊浦郡(現下関市)。戸籍は6通も存在。5代前までさかのぼることができました。

・2代前:祖母はアイ子
・3代前:曾祖父は永冨茂助
・4代前:高祖父は徳次郎
・5代前:太郎右衛門

母方の家系

母方も調査。祖父母とも先祖代々現在の長野市豊野周辺だったので、長野市の役場で一気に請求。6代前までさかのぼることができました。
18~25通目:長野市

母方の祖父の家系
・2代前:祖父は丸山尭
・3代前:曾祖父は丸山宅治
・4代前:曾祖父丸山宅治は丸山和藏の養子
・曾祖父丸山宅治の実父は東太郎
・5代前:丸山和藏は丸山冨吉の養嗣子
・丸山和藏の実父は山下八重蔵

母方の祖母の家系
・2代前:祖母は丸山恭子
・3代前:曾祖父は高橋源太郎
・4代前:曾祖父は高橋友蔵 天保6年(1835)生まれ
・5代前:高橋藤藏 文化6年(1809)生まれ
・6代前:高橋藤次郎

高橋藤次郎は、1700年代になりますかね(推定)。

そしてできあがった家系図

家系図はExcelで作成しました。仕事柄(Web制作)ツリー型の図を作成するのは慣れているものの、難易度がかなり高い…。しかしこれがまた結構クリエイティブな作業で楽しいです。本当は主要な系統だけ入れればいいのですが、欲張って記載されている人たちほぼ全員入れてみました(自己満)。

今回の調査でかかった費用

・戸籍謄本:1通=450円
・除籍謄本または改正原戸籍:24通×750円=18,000円
・定額小為替の手数料:14通×100円=1,400円
・切手と封筒(返信用含む):あわせて約1500円
ざっと21,000円ぐらいでした。

さいごに

自分のルーツに感謝すること。
これがこの作業を通して得られた純粋な気持ちでした。
この想いを、先日他界した母と、すべての先祖に捧げたいと思います。

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