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知識が生み出す階級闘争

「技術」と「知識」

「技術」と呼ばれるものは非常に短期間で世界に広がってきた。

イギリス人ロジャー・ベーコンによって1270年頃生み出された老眼鏡は、船も陸路もほぼ無い時代ですら、たった40年後にカイロやモンゴルにまで広がった。

19世紀に発明されたミシンや電話機も同じような速さで、世界中にその技術が伝搬された。

1990年代に誕生した携帯電話が、10年ほどで貧富の差を超えて世界中の人々が手にするようになった事からも技術の伝搬の速度がうかがえる。

一方、技術の応用である「知識」が具現化するまでにはかなりの時間を要してきた。

壺を造るロクロの原理が、紡績の技術に応用されるまで400年がかかった。

他にも風車の技術が船舶に応用されるためには300年がかかっている。

その理由は知識というものが、徒弟制度のもとに授かるもので、一般化を伴わなかったからだ。

習得するのに何十年もかけたものは、応用するまでには難を要する。

例えば靴の職人は何十年もかけて、その知識の習得に費やした。

その知識は秘伝であり、外部には伝えられないものであり、このような理由から知識の応用がなされなかったのである。

またこのような「技術」は人々の生活様式となる制度なるものを生み出した。

例えば鎧を製造する上での技術は、重騎士を誕生させた。

しかし重厚な鎧騎士を1人戦闘に立たせるためには、3頭の馬と15人の馬の世話役が必要となる。

彼らの食料を賄うためには200人の小作農家が必要となる。

大多数の小作農家をまとめるためには法律が必要となり、こうして封建制度というものが出来上がった。

産業革命

18世紀後半イギリスから始まる産業革命にて、今まで秘伝とされてきた知識が技術へ応用され始めた。

ドイツに世界初の農業学校や鉱山学校が設立されたことに起因する。

大学では知識が体系化され、技術に応用されるようになった。

そこでイギリス王室は特許制度を作り、その知識の公開を奨励した。

今まで秘密であった技術を公開し、イギリス王室の下でその知識を独占することを目論んだのである。

その結果、揚水ポンプの技術はワットによって蒸気機関に応用され、工場の動力源や蒸気機関車の誕生につながった。

新しく生まれたこのような技術は、人々の生活様式と社会の構造を変えた。

かつての封建制度の誕生と同じように、工場の発展は資本家とプロレタリアという新たな階級を誕生させた。

その時代には、仕事というものは隷属的であった。

金持ちや教養のある人にとって仕事は注目され得ないものだった。

より仕事をさせるためには、長く働かせるか、鞭を打つという選択をした。

このような文化はかつて農民が王族に叛乱したように、二つの階級の対立を生み、そして憎しみにまで発展した。

この階級の闘争はカール・マルクスに始まる社会主義の台頭を促したのである。





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