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手を繋ぎたいか?離したいか?

対人関係において些細なことで言い合いになったり、喧嘩になることってありますよね。

私の場合「あなたのこういう発言で私は傷ついた。この気持ちを理解してほしい。」という具合に怒ることが多いです。それはもう猛烈に。
とはいえ相手からすれば迷惑な話だということくらいはわかっているので、相手との関係性に応じて主張の強弱はつけます。

その上でわかってほしい気持ちを伝えるけれど、時に「わかって〜」と言い続けること自体に疲れてしまう時もあります。私が主張すれば、当然相手にも言い分はある。そういう摩擦が強くなればなるほど、言い続けることがしんどくなるんです。
だったらもう黙って何も感じないふりをすれば、私も相手も疲れず傷つかずに済む。こんだけ辛い思いをするのなら、これ以上何も言いたくないって思ってしまう時もあるわけです。

でもそういう関係はつまらない。
どうでもいい人ならいざ知らず、相手が私にとって大事であればあるほど、「ここは譲れない」っていう価値観は共有したいんです。だからたとえ摩擦が起きても、そこは乗り越えたい。



喧嘩したり言い合いになったりした時、どうしようもなく苛立ってしまうこともあるけれど、次に取るべき行動を決める指針は一つです。

「私はこの人とこれからも手を繋ぎたいのか、それとも、もう手を離したいのか。」これを自分に問います。

手を繋いでいたいと感じる人であれば、たとえ誤解があったり、すれ違いがあって腹がたっても、決してその手を離してはいけない。
手を離したところで、問題は解決しないから。
解決は歩み寄りしかありません。
歩み寄ってくれるのを待っているのも良いけれど、手を離したくないと感じるのであればあるほど自分から歩み寄らないとね。
ま、こうやって言うのは簡単だけど実践するのは難しいです。本当は手を離したくないのに、意地や見栄が邪魔してしまいがちですから。

そういう時こそさらに何度も自問します。
「手を繋ぎたい?離したい?」って。
手を繋ぎたい相手であれば、問題を解決する努力から、歩み寄る時のばつの悪さから逃げてはいけないんです。


「世界を元気に!」「日本を変える!」とか何かを大きく変えることは、私にはできません。
だけど夫と、家族と、親しい友人と。
自分の周りの人の手はしっかりと繋いでいたい。
手を繋ぎ続ける努力を放棄したくない。

こんなふうに、みんながそれぞれ自分の身の回りの人とがっちり手を繋いでいれば、少しづつご機嫌の輪が広がるのになぁ。
それがひたすら広がれば世界も??いや、そこまで変わるかはわからないけど、もう少し優しい世の中になるんじゃないか?
そんな風に考えています。

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浜田 綾(コトバノ):ライター
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