やりたいことが見つかっていない社会人1年目の全ての人へ。

最初に言っておくと私の就職活動の話は、びっくりするくらいにその場しのぎで短絡的です。


就職を考えた時、最初は教員になろうとしていました。
父に勧められたことと、高校時代が楽しくて、よい先生との出会いが多かったから。大学は史学科だったし、世界史の先生になろうと思い教職の単位をコツコツ取っていました。でも当時から絵に描いたうっかりな私は、教育実習に行くための単位を取り逃がします。試験で単位を落としたとかじゃなく、そもそも履修漏れしていたというアホすぎる理由で。教職を目指すなら留年するか、就職した後その単位をどこかで取って教育実習に行くかしかなくて、私は結果的にどちらも選ばなかった。母に相談したら「留年するなら自分で学費と生活費を賄って」と言われ、大変そうだからやめようってすぐ諦めたんです。「諦めが早すぎでしょ?」と言いたくなるけれどそれが21歳の私。根性もなかったし、今思えばそこまで教員になりたくなかったのかもしれない。


教員を諦め次に考えたのは公務員。
選んだ理由はただ一つ。安定しているから。公務員と一口に言ってもいろいろあって、国家一種、二種、地方自治体、裁判所事務官などなど。手当たり次第試験を受けたけれど、筆記試験でほぼ全滅。奇跡的に筆記試験を通過したところもあったものの、次の面談であっさり落ちる。そりゃそうですよね、本気で公務員になりたくて志望しているわけじゃない。上っ面だけでも希望しているような様子を醸し出せる器用さ賢さももってないし、あったとしても相手に伝わるでしょう。


困った大学四年生の夏の終わり、ようやく就職活動を始めます。
就活生の必須である自己分析も筆記試験対策もなにもせずに。ただ手当たり次第求人を見つけたら応募。職種も業種も関係なしに…という考えなさぶり。何がやりたいとか全くなかったから。そうして12月にようやく大阪の情報処理系の会社の事務で内定をいただきました。
手当たり次第と書いたけれど、何も考えてなかったなりに1つだけ基準があって。それは転勤がないことと激務じゃなさそうな仕事であること。やる気がないわけじゃないよ。理由はちゃんとあります。

私は、早く自分の家族が欲しかったんです。

働くことは昔も今も大好きです。場を与えられたら結果を出したいといつも真剣になる。だけどこの当時の私にとって、一番やりたいことは自分のチームを作ること。当時お付き合いしていた人(夫)と確実に結婚したかったから、私が転勤したら会えなくなるから困る。私が激務すぎてコミュニケーションが取れなくなっても嫌だ。だからその上で不都合にならない仕事選びをしていました。キャリアデザイン的に言えば0点の就職活動ですよね。でも当時の私なりに「やりたいこと」「叶えたいこと」があり、そこに向かって着実に進んでいたから。それは何も間違っていないし後悔もしていない。



マズローの欲求5段階説てあるじゃないですか。

下から

生理的欲求
安全の欲求
所属と愛の欲求
承認欲求
自己実現の欲求


一時的とはいえ、私は13歳のときに住む家が無くなり親戚の家でになったことがありました。家も会社もある日突然嘘みたいに無くなることを肌身で感じ、安全の欲求が脅かされたんだと思う。その後信じていいのは自分の家族だけだと考えるようになって、家族、特に父のことを盲信することで所属と愛の欲求を満たし、父に褒められることで私は承認欲求を満たしていた。ただこれ、私が18歳の時に父が死んだことにより一気に崩れます。どこかに守られていたい、誰かに承認してほしい。そういう気持ちを常に抱き続けるようになりました。


だから私は何よりも自分のチームが欲しかったんです。
支えあえる存在が欲しかった。本当ならば時間と体力のある20代。もっとキャリアの形成に充てればよかったなぁと多少は思う。でもこの状態で「自分と向き合ってやりたいことを!」と言ってもちっとも響かなかったんじゃないかなぁ。
数年後、私は結婚して子どもを2人授かり、家を持ち望み通り自分のチームができました。子どもたちが少し成長して手が離れた時、眠りから覚めたかのように私は焦り出しました。

自分だからできる仕事がしたい。

ようやく自己実現の欲求が芽生えたのでしょう。昔から書くことは好きだったから趣味でブログを書いているうちに書く仕事がしたくなり、ライターになりました。今の私は…やりたいことが死ぬほどあって欲望の塊です。自己の欲求を実現できているかはわからないけど、やりたいことはたくさん。苦しいことの方が多いけどやっぱり楽しいからやめられない。そういう毎日を過ごしています。



やりたいことが見つかっていない社会人1年目の全ての人へ。
焦らなくていいです。人は人、あなたはあなた。自己実現するのに遅すぎることなんてない。今入った会社が、部署が、望み通りじゃなかったとしても。そもそもよくわからないまま就職してしまったとしても。いつだって遅すぎることなんてないし、失敗なんかじゃない。失敗があるとするならば、過去から学ばないことだから。

自己実現の意味すらわかっていなかった社会人1年目の私へ。
キャリアの形成の点で考えたら、もったいない社会人1年生を過ごしてしまっているかもしれない。でもそれを戒めたり、何か忠告したり、否定もしない。だってやりたいことはあって、そこに向かって動いているもの。人は人、私は私。これまでやってきたこと、あなたがやっていることは間違っていないと証明していくのは今の私の役目。

だから何も心配せずに、目の前の道をただひたすら歩めばいい!

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