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裸で生きる?テクニックで生きる?

竹村俊助さんのこちらのnoteに深く共感しました。

「本音で生きる」って個人が情報発信するにあたって、今後ますます大きなポイントになるんじゃないかと思っています。
そして私も本音で生きることを大事にしています。


と言いながらも、2年くらい前までは私ってすごい優柔不断だったし自分の心の声より周りに合わせていました。
ただ私の場合は、本当に何がいいのかわからなくて迷っているわけではなかった。意思ははっきりしてるから、答えはすぐ出てたんです。

でも同時に周りの空気を察してしまうタイプだから、「今これを言ったら場の空気が乱れるな。そうなったらめんどくさいな」っていう気持ちが優ってしまうから黙っていたんです。
どうりでストレングスファインダーでも「調和性」が1位になるわけですよ。

なのに自我も強いものだから(ちなみにストレングスファインダーで「自我」が5位)、黙って押し殺した自分の感情は消化しきれなくてずーっとイライラして生きてきました。

で、そういう生き方ってストレスフルだから、ある時期から一切やめたんです。そうしたらやっぱり圧倒的に楽なんですよね。
これについては竹村さんのnoteに書いてある通りです。



一方で戦略的というか、テクニックやキャラ重視で発信する人もいます。
これだって一つのあり方ですよね。
私はこちらを選ばないけど別にいいと思う。

素直に生きるってつまり合うか合わないかじゃないですか?
万人に受けることはまずない。
だけどテクニックならば成功した人の経験の蓄積だから、それを忠実に実行すると誰であってもかなりの確率で成功する気がするんです。
だから戦略的に多くの支持を狙うやり方だって、方法論としてはもちろんありなのかなぁって思うんですよ。


どっちを選ぼうと個人の自由なんだけど、これからの時代生き残るのは、どちらかに振り切った人だけじゃないかなって思うんです。
インフルエンサーマーケティングに代表されるように、個人の影響力がより大きくなる時代はもうすぐそこまで来ていますから。

つまり中途半端にテクニックを使い、中途半端に本音で喋ってるようにみせかけるパターンは淘汰されるのではないかと。

中途半端な本音なんて裸力の高い人からしたら簡単に見破れます。
また同様に中途半端なテクニックだって、どこまでも考え抜いて戦略的に生きている人には太刀打ちできないですよ。



私はこれからも、もっともっと本音で生きたい。
ただ最近感じているのは、本音で生きるっていうのも、ちょっと気を付けなあかんなぁってこと。
竹村さんの言葉を借りるなら「裸力」つまり裸であるが故、足元をすくわれることもあると思うんです。
こっちは裸の丸腰で素直に生きていても、世の中そんな人ばっかりじゃない。困った人というか、もっと平たく言うとめんどくさい人が寄ってきて背中を刺されたら終わりじゃないですか。

だから裸で歩いて行くって決めたのなら、刺されてもかすり傷だと思えるくらいのマッチョにならなあかん。
あとは裸力の高い仲間を探して、緩やかに繋がることも大事なのかもしれない。

そんな仲間と居場所をたくさん作りながら、書く人であり続けようと思っています。

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浜田 綾(コトバノ):ライター
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