文章のパターンについて。

私は普段お仕事をする際は、ライターとして書くことがほとんどです。
ですから、自分のことではなく誰かの想いや言葉を届けるのことが多いのです。

方やnoteで書いているのはエッセイやコラムであると、自分では認識しています。主語が”私”の話が多いということです。
よくエッセイとライティングは使う筋肉が違うと言われます。
確かに私のことを書くのと、他人のことを書くのは”対象”という点においては真逆の行為です。

ただ、私にとってはエッセイつまり自分の話であっても、どこか冷めた視点というか俯瞰することを忘れないようにしています。
またライティングの場合は、逆に対象者に憑依するくらい肩入れします。
つまり私を掘り下げる文章は深入りしすぎず、他人を掘り下げる文章は意識して深堀する。そうすれば私の話であっても、他人であっても潜り込む深さは変わらないという考え方なんです。
フォーカスする場所が変わるだけ、そういう認識です。


さて、こうしてコツコツnoteを書いているおかげで、コラムのお仕事をいただいたのですが、そのクライアントさんに聞かれたことがあります。
「浜田さんのnoteはエピソードが長くて、まとめが短め。これは何か意図があるのですか?」とのこと。

おおおおお!感激!
ここまで深く読み込んでくれるって、書き手冥利につきます。
そうですね、文章にもいろいろなパターンがあります。
このパターンは一番オーソドックスでよく使う手です。
スタンダードなやり方でしょうしね。

エピソード長めで、まとめ短め。
私のnoteだと、例えばこういう話でしょうか。

「男の子」と「女の子」
「しっかり者」は環境によって作られる。

クライアントさんには、その場で回答しましたが、ここでも改めて明文化してみようと思います。もちろん正解不正解などなく、以下は私の場合の考えです。


”エピソード多め”の意図

エピソードが多いのは、私ごとに捉えやすいかな?
という狙いがあるからです。

でもこれは諸刃の剣なんです。
私の場合このエピソード部分に子どもの話が多いんです。
手っ取り早いし、よく理解していることの方が正確に描写できますからね。
でも子どもが嫌いである人であれば、最後のまとめには共感できてもそこに行き着くまでに離脱するだろう。そういうリスクはあります。
だから具体例なんて出さない方がいいのかもしれません。

だけど、”子ども”の話題って子持ちの人はもちろんですが、そうでなくても考えやすいテーマかなと。だって私たちは一度は子どもの時代があったもの。自分が親として考えるのか、自分が子ども時代を思い出して考えるのか、人それぞれですが、誰でも私ごとに捉えやすいかな?という考えはあります。


”まとめ短め”の意図

そしてまとめが短い理由ですよね。
それはもう明確にあります。
説教くさくしたくないからです!

なんならエピソードのみで、まとめなんかなくてもメッセージを伝えることができれば最高ですね。
例えば隣のトトロとか、魔女の宅急便とか。
あれっておそらく、何かを明確に伝えたいというものはない。
だけどいろんな見方ができるじゃないですか。
そういう余白みたいなもの、考える自由をなるべく持ってもらえるものを書けたらいいなと思うので、最後の「私はこう思う」は短めなことが多いんです。

言いたいことがあるならば、例えば「ズケズケ」のように、トピックに特化してはっきり主張する方が性に合っています。


エピソードや具体例の描写が正確であれば、たぶんまとめが少なくても言いたいことって伝わるんです。
個人的には古賀さんのnoteでの文章は、そういうものが多いと感じます。
エピソードの描写や具体例が恐ろしく丁寧。
だからおそらく何か好ましくない事象の説明であっても、描写の時点できちんと意図が伝わる。
古賀さんご自身の「そういうのは嫌だ」みたいな感想って少し添える程度。
だから主張しすぎている!の嫌悪感は全くないし、でも言いたいことはきちんと伝わっている。高度なテクニックだなぁと。いつも読みながら感嘆しています。


”まとめのみ”の抽象的な文章について

まとめ部分、つまり一般論のみで話を進めると抽象度があがって裾野は広がるでしょう。この方が誰が読んでも当てはまるので、文章のターゲットという視点で考えれば広くリーチすると思うのですよ。
ただ具体例が少なく抽象度の高い文章になるので、深くはリーチしませんよね。私の場合noteで書く時は、”読んだら即行動したい”と思えるくらい深くまで届いて欲しいんです。

試しに先ほどの「男の子」と「女の子」で実験してみましょうか。
まとめ部分の一般論のみで話を書くと、こうなります。

ーーー

男女平等ってみんなよく言いますが、男女ってやっぱり違うんです。
一緒じゃない。
男女差別は断じてだめだけど区別はしていいと思う。
体の作りも違うしね。
もちろん男だからこうしろ〜とか、女だからこうあらねばならない〜は息苦しいから嫌ですよ。だけど違いは違い。

男の子は男の子の、女の子は女の子のよさがある。
違いを感じつつ仲良くできるって、よいなぁって思っています。

ーーー

こんな感じですかね。
おーなんだか、未成年の主張みたいになってきました。
パターンとしてはありですが、私の場合あまりこういうのは書きません。
特に男女平等の話なんて超デリケートですからね。
デリケートだけど、私には私なりの考えがあってこのような結論に至った。
それを伝えるためには一般論だけでは不十分でエピソードもあった方がいい。そう判断したのでこういう形をとったわけです。


あ、でも自分のnoteを探していたらあった。
手を繋ぎたいか?離したいか?

これなんか、超抽象的ですよね。
なんの話かわからないと思う。
私的にはあることがあって、言いたいことがあった。
だけど具体例をあげるのは微妙で抽象度をあげた。
そしたらこうなるわけですよ。
なんとなくわかる〜となるけど、先の具体例多めパターンよりは深く届かないと思う。それはやっぱり”私ごと感”が薄れるからなんです、きっと。



文章術について語るには、自分の筆力は未熟すぎると自覚しています。
そもそも書き方を教える人でもありませんしね。
けれど、時にはこうして自分の文章についてのテクニカルな話をするのも面白いですね。

いろんな文章の表現パターンを身につけて、この話を伝えるにはこういうパターンだ、と切り替えて表現できる人になりたいものです。

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浜田 綾(コトバノ):ライター
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