本屋さんと私と。

これまでオンラインサロンの活動で、紙の本を2冊作りました。自分たちが作った本を置いていただいたり、書店員さんに取材させてもらう機会が増えたので、今日は本屋さんの話を書いてみます。


あらゆることを知れる遊び場

私はどちらかと言えば音楽との出会いの方が早くて、本屋さんより先にCDショップにかじりつく子どもでした。
何より本屋さんは自分で行かなくても父としょっちゅう行く場所だったので、ある意味当たり前だったのかもしれません。私が小学生の頃、父が勤めていた会社の事業の中に書店経営があったので、父にくっついて店番をしていました。その頃は何かの本を特別読んだというより、自分の知らないことを書いているものが山のようにあるから、あらゆることを知れる遊び場という感覚でした。


新たな情報を仕入れる場所

本屋さんに自分の意思で通うようになったのは中学生の頃。私はハマるととことん深堀したくなるので、好きなバンドの雑誌集めにハマっていました。「INROCK」とか「GIGS」とかをよく買っていました。お小遣いの全てを雑誌に投入し、足らないもの手に入らないものは図書館で探してコピーして集めていました。誰に見せるわけでもないけど、まとめたものを眺めるのが好きだったんです。
バンドだけではなく、なぜか一時的にバレーボール(中垣内さんの頃)とフィギュアスケート(本田武史さんの頃)も好きだったので、その時はスポーツ雑誌も読んでいました。「Number」を読んで、スポーツライターの金子達仁さんの存在を知ったのもこの頃です。サッカーのことは全く知らないけれど、彼が書く記事は好きでしたし本も買いました。ちなみにその時はじめて世の中に「ライター」という職業があることを知りました。自分がなろうとは思いもしなかったけど、こういう仕事があるって素敵だなと思っていました。とにかくこの頃の私にとって本屋さんとは、新しい知識を仕入れに行く場所でした。


ここならいても許される居場所

高校生になると本屋さんとの付き合い方が変わります。居場所としての本屋さんに幾度となく救われました。人並みに思春期だったので、塾の授業にどうしても行きたくなくて。今思えば親に申し訳ないけど、塾をしょっちゅうサボっていました。サボっている時間、行く場所は決まって本屋さん。何かを買うってわけではないけど、ここなら何時間でも退屈しない。いても怒られない。行くあてのない自分を受け入れてくれる場所として、本屋さんに本当にお世話になりました。


参考書マニア

塾をサボっておきながら矛盾しているのだけど、一応勉強をがんばらないとという気持ちはあったので、参考書を読み漁っていました。「勉強をがんばれ!」と当時の自分に言いたいのですが、本としての参考書が好きで「河合塾より代々木ゼミの方がこの科目はわかりやすい」とかそういうのを読み較べるのが好きだったんです。ちなみに参考書で一番好きなのは「青木裕司 世界史B講義の実況中継シリーズ」です。断言します。これはただの参考書ではない。読み物です。これを読めば世界史はただの暗記ではなく、ドラマだということがわかると思う。参考書というより愛読書感覚でした。卒業するとき後輩にあげちゃったけど、やっぱりもう一度読みたいからまた自分で書い直したほど気に入っています。


大学生になってから、小説を読むようになりました。林真理子さんが一番好きで、友人の影響で宮本輝さんの小説も読むようになりました。あとはやっぱり雑誌が好きで、この頃はロッキンオンをずーっと読んでいた。本屋さんとCDショップを往復するのが好きでした。

結婚して母となっての本屋さんは、再び居場所として助けられています。うちの子たちはそこまで読書家ではないけど、それでも本屋さんに行けば本にかじりついていますし、何より退屈しませんからね。



私が本屋さんで本を買いたい理由

本屋さんの思い出をつらつら書きましたが、私は本はなるべく本屋さんで買いたい。理由は二つあって一つは、自分の体験からくるものです。短期バイトで大手インターネットのショップ配送センターに行ったことがあります。この時衝撃的だったのは、バイトのスタッフが本の入った封筒をボンボン投げること。ボールみたいに封筒を投げるんです。数多くさばく必要があるから、仕方のないことなのかもしれない。本を神聖視しすぎているつもりもないけど、やっぱりこの扱いは辛い。こんな扱いをするなら本屋さんで買いたい。

もう一つの理由は、何かを応援しているならば、応援している人や場所でお金を回すことが一番の応援になるから。だから私はこれからもなるべく本屋さんで本買うと決めています。


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