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帰る里があるくらし 帰る人のいるくらし

「里帰り」という習慣は私の育ってきた環境では存在しませんでした。

父は早くに両親を亡くしているので当然私は父方の祖父、祖母に会ったことがありません。
母は8人兄弟の末っ子でつまり超高齢で生まれているため、母方の祖母は私が幼稚園のころに他界。祖父は物心がついたころはもう老人ホームのお世話になっていたのでいわゆる里帰りという経験をしないで育ちました。

祖父母の住む家は処分したので、実質的な里というか帰る家ってないんです。

また私の育った家庭は引っ越しが多かったので同じ場所でずっと育つという経験がなく、昔からの地元の友達というのもいません。

加えていとこや親戚も近くにおらず、ごくたまに集まっても年の近い親戚がいなかったので一緒に遊ぶ経験もありませんでした。



つまり私は血縁も地縁も割と薄い状態で育っていたようです。でもそれが当たり前だったので特別不自由だとか、悲しいって感じることはなかったんです。

どこへ行ってもそれなりに適応できる私の性格は、色んな場所に引っ越ししてきたことと関係していると思うので良い側面もあるはず。

だけど私が今選んでいる環境は育ってきた環境と真逆なので、無意識のうちに寂しさを感じていたのかもしれませんね。


夫はずっと同じ地元で、同じ家で育ちました。
彼の親戚も同じ市内にたくさん住んでいて、毎年お正月には皆が集合してワイワイ賑やかです。
私にはなかった習慣なのでそこで始めてお互いの育った環境が違っていることに気づきました。



今年のお正月も夫の実家に1日滞在しました。普通の里帰りならもっと長く滞在することもあるだろうけど、我が家の場合同じ市内に住んでいて特に義母とはほぼ毎日何かしらの用事であっている仲。わざわざ泊まりに行くほどでもないんです。

恒例の子どもたち同士の遊びにて。
今年は長男が小学生になり年上の姪っ子とも対等に遊べるようになったので、ゲーム大会をしたり、公園で遊んだりと姪っ子には何かと長男の遊び相手をしてもらいました。

長男は近所の子どもたちとも仲が良いのでので異年齢遊びは日常的にしている方だけど、その中で彼は割とお兄ちゃんの部類なので、今日のように年上のお姉さんに遊んでもらうことは日ごろないんです。

彼にとってはこの日の出来事はよほど新鮮で嬉しかったのでしょうね。

「○○ちゃん、僕の親友になってくれませんか?」長男が真顔で姪っ子にそう言ったそうです。

私はその場面に居合わせていなかったのだけど、目撃した夫曰くまるで好きな女の子に告白するかのような神妙な面持ちで言っていたとのことでした。もちろん姪っ子の返事はOK。長男は大喜びです。

「○○(長男)と○○ちゃん(姪っ子)は『いとこ』だから親友よりももっと近くて特別な繋がりでもう結ばれているんだよ。」私がそう教えてあげた時の彼の嬉しそうな顔が忘れられません。

自分には友達とは違った繋がりがあって、その繋がりは楽しくてあたたかいものだと身をもって感じてもらえたら私も嬉しい。



色んな縁に繋がれて帰る里があって、帰る人のいるくらし。
困った時は誰かが支えてくれる。
これを煩わしいと考えるかどうかは人それぞれだけど、どちらも希薄な中で育ってきた私としては色んな縁に繋がれたこの暮らしは安心だし、心地がいい。

我が家には特別お金がたくさんあるわけではないけれど、この縁を、帰る里を子どもに残してあげることが無形の財産となるのかもしれない、なんて思っています。



おしまい


#里帰り

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