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ジャズのアドリブとはその瞬間に作曲をすることだが鼻唄によく似ている

私は普段よく歌っている。歌いながら何かをしている。子どもの頃からそうだ。口笛や歯笛の時もあった。いわゆる鼻唄である。その歌の出所はおそらくテレビやラジオで聴いた音楽や、デパートや食堂で流れている音楽だったと思う。いつも踊りながら歌っていた。きっとリズムを表現していたのだと思う。電車に乗ってひとり歌を口ずさんで怪訝な顔をされる時もあった。それは今でも時々ある。

トランペットを始め、その後ジャズを知り、私はアドリブというものに出会った。最初の頃に好んで聴いた耳馴染みの良い曲などのアドリブから、テーマのメロディや和音の流れ(コード進行という名前を後で知った)を感じ取ることが出来た。そしてそこに強い興味を持った。

やがて私はジャズを深く知るようになり、複雑なハーモニーやリズムの中で自由自在にアドリブをする名人たちに憧れた。それらのメロディの多くは先人たちの積み重ねてきた知恵の結晶であると同時にプレイヤー本人の芸術的な閃きによって生み出されたオリジナル・メロディでもあることを知る。そしてこのふたつの事が私の中で全く矛盾しないという結論に至るまでにはたくさんの勉強と経験を積む必要があった。

ようやく様々な楽曲の中で自分のメロディが閃くようになってきた頃、それが鼻唄を歌う感じと同じであることに気付いた。踊りも然り。

時が経ち、今では自分の歌が複雑であったり難解であったり奇妙な感じや狂気に満ちた世界になることもしばしばだが、それが私の自然な鼻唄であることには変わらない。さらに感覚を広げ、より強く「感じながら」歌いたい。そして物凄く気持ち良くなる瞬間にたくさん出逢いたい。

余談だが、私が言っているのは、鼻唄のように歌うと勝手に素敵なメロディが湧いてきて素晴らしいアドリブに繋がる、ということではない。鼻唄によってその人が記憶しているメロディが自然な感じで出てくるということである。研究や体験は脳に記憶される。研究や体験で得たものから深い考察や実験を経て初めて素敵なメロディの素が生成されるのだと思う。

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