日記。30代半ばを超えての雑感


37年生きてきた。短いのか。長いのか。よくぶれずに芯があると言われるが、私は失敗の繰り返しだ、だが挑戦をやめたことはない。感性の森へ深く入り込みながら、得体のしれないものに触れ、透明なうつろいとして一瞬美しいと感じるものを愛おしく思う。光の中でとらえたあの数々の出来事はすべて幻だったのか。死のような長い余韻が、ずっと自分自身に纏わりつき、そこから拭い去ることは決して出来ない。港。車の傍で。最初に立ち尽くした男、影の多重、安っぽい化粧で、車のシートを倒して、瞬きしている女、一粒の涙と共に、薬の入った空瓶、注射器、パックの寿司、海の藻屑と消えていく、でも死ななかった。死のうとしても死なないこと、きっとこれが恐らく私の運命だ。安っぽいスリル、溶かすもの、溶かされるもの、青いひまわり、その土壌から、奇妙な植物が、喋る、きっともう殺されてしまったのかもしれないけれど。

ドラッグで死んでしまうというエピソードにとても惹かれた。ずっと昔から。何も意識なく、多幸感を味わって、ロマンチックで、センチメンタルなものだと情景を抱きつつ、悲しさと優しさが同居しながら、何も残さずくたばってしまおう。私はそうなると確信していた。でも、そうはならなかった。もうすぐそうなるのかもしれないけれど。誕生だとか死だとかに恐らく私はそこまで深く入り込めなかったのであろうし、何もかもを受け入れると同時に何もかもを、現実を素直に受け止めれば、人を信じれば、傷つくことはあまりない。人は裏切るものだと当然知っていながらも、裏切られるとその度にとても驚いたが人を恨んだという経験は私には一度もない。

感受性というものがもしあると仮定するならば、そんなものはもうないのかもしれないと。何もない、実体もない、容器のような、空っぽな自分だけ、何も残らずに、何も残さずに消えてしまいたかった。とっくに生きる意味なんぞないことなんてさすがに気づいているし、自意識や、周囲に何を言われようと全く気にならなくなったのは、ここ、2,3年の話だ。時々罵倒される言葉ももはやユーモラスに聞こえるくらい、私は何も感じない。私は途轍もなく臆病でありつつも、大胆でもあり、このような自分の人格の二重性に呆れもしたが、今更何も変わりはしない。突拍子な行動をとる自分をコントロールすることは決してできなく、動かさるがままに放っておく。どうせ何も変わりはしない。そういった諦めの中でも作品を生み出し続け、きっと、何か、膨大なものの崩壊のその後で、美しい結晶のようなものが表れるのかもしれないと、私はまだ、愚かにも信じている。強迫観念のようで、纏わりつき、妄信しているとさえ言える。ネガティヴなことは処理もせず、感知せず、全く関わらないようにし、自分は巫女のような存在として、感受したことを受け入れ、それを伝える役割をするのだ。

はじめに混沌があった。それによると暗い幽冥とそれから広い黄泉とが、泉の中に放り投げた果実は幽冥の中でまだ息づき、そっと鼓動をしているのが聞こえる。一人で私は卵を生んだ。そこから始まった。不死なるものも、死者たちも、神々も、天使もいなかった。私が絶対に誰にも明かさないこの大いなる儀式は、現実からの超出であり、こういった拷問に、別に今更弁解も嘆きもしない。そうやって私は生まれてしまったからだ。戒律のはじまりも同時に見ることもできるが、ピタゴラス学派やエピクロス派、エッセネ派、カタリ派、ストア派の中にそっと余韻を閉じ込めて、私の友人たる死者たちは転生と解脱を繰り返し、彼らとひょっとしたら同じ起源をもっているのではないかという馬鹿げた予感を持ちさえするのだから。

芸術に何もなかったとしたら?悍ましい。私は今日も震えながら何度も水風呂に浸り、ガラス窓から、差し込む光が、アンニュイさと、明暗を示している。明日はまだあるのでしょうか?まだ生きなくてはならないのでしょうか?祖母の家にあった調律が壊れていて色々な楽譜がはさまっていたピアノを思い出す、あの音色を聞くと優しい気持ちになり、きっとどこか別の場所があるはずだと。違う世界に行けると信じた。今でも心の底から安らぐ時間はほぼないが、私が愛している人たちと少しの連絡をしたり、会ったり、出かけたりすること。その意味では、私は救われているし、少しだけ希望がある。ほんのささやかなものにすぎないけれど。相変わらず生活は苦しいし、深い錯乱と決意と行動を繰り返し、倒れてもすぐ立ち上がり、色んなことに取り掛かり、今日もまた、落胆したり、興奮しながら、またやり遂げようと決意する。なんの意味もないかもしれないけれど。これからもきっと、苦しいこと、悲しいこと、いろいろとあるでしょう。今の素直な気持ちを記そうと思います。

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