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名古屋について、京都との比較を通した考察

「名古屋の飲み屋では、なんか壁を感じるなー。」
そうお感じの方は、私だけではないはずだ。
しかし、なぜだろうか。

―なぜ名古屋の飲み屋では壁を感じるのか―

この漠然としたについて、私は一つの結論を得た。

先日街ブラしていたところ、本屋でBRUTUSの名古屋特集のポスターを見かけて、思わず買ってしまった。場所や店の紹介があり、シメに名古屋人についてのコラムがあり、非常に面白く、共感した。詳細はぜひ本を購入して読んでいただきたいのだが、
「名古屋にはいかに地元民しかいないか」
ということが、筆者(出先なので追って記載)の主観と客観的調査データを織り交ぜながら書かれていた。
私の感覚でも確かにそのとおりである。

以下は私の考察だ。
名古屋で一人で飲みに行くと、いわゆる「転勤族」と「地元民」が二極化しており、両者が交わることは難しい。
店主店員は名古屋人か、良くて東海三県出身者。
店側がどうしても地元寄りになるのは否めない。

一方、私が長く住んでいた京都では、「転勤族」が少ない代わりに「旅人」が存在し、さらに「ある程度長く住んでいる移民」が多く存在する。
店主店員は「地元」or「移民」である。
「移民」は「地元」のことも旅人の気持ちもわかるので、酒場の会話では両者のつなぎ役として機能する。

結果として、名古屋では小さいグループでの会話になるか、最悪一切しゃべらず粛々と飲んで食ってなんてこともザラだが、京都では店にいる人全員でワイガヤなんてことも全然あり得るわけである。

なるほどそういうことか、と勝手に納得しながら、たぶんまた一人で飲みに行く。
果たして私が名古屋の地元民とからめる日は来るのだろうか(知らんがな)。

PS 今日は岡崎城に行ってきました。
結果としてよく歩くので、城攻めって健康的だなと思いました。

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