バルセロナ

【コラム】海外でフリーランスで働くということ&日本のママパパはこれ以上頑張らなくてもいんだよという話 from バルセロナ

こんにちは。イラストレーター&コミックエッセイストのハラユキです。久々のnoteの更新です。

まずおしらせをひとつ。
2年間住んだスペインから本帰国することになりました。

当初、夫の仕事的に1年で終わるかも、という話もあったので、結果的には延びた形。でももっと延びそうな気配もあったし、やっと慣れてきてこれからというタイミングだったから、むちゃくちゃ残念…。でも、仕方ない。帰国時期の決定権がない、これは帯同で海外に来た者の宿命だ。

私にとっては初めての海外暮らしだったけど、住んでみて予想外だったことがたくさんあった。なので、回顧録も兼ねて、それらをざざっとあげてみようと思う。ちょっと長くなってしまったけど、いま育児をしている人、これから海外に移住する人、海外で仕事をしようとする人の参考になる部分もあるかもしれません。

ではいきまーす!

(1)海外に住めば、語学なんて簡単に自然にペラペラになると思ってたけど、んなこと全然なかった
子どもなら自然に憶えるとかあるけど、大人に関しては、日本にいようが海外にいようが、猛勉強しないとそら語学は身に付かないよね…。特に子育て中はね…。(詳しく書いた記事はこちら↓)

(2)住んでいきなり、無差別テロが起きて、カタルーニャ独立運動が過激化してビビった
でもそんな世界的な事件が起きていても、テロのあとも街は自粛ムードにならなかったし、独立運動で危険と世界に報道されてたときも生活は意外と平和でそれにもビックリした。(最近のほうが凶暴犯罪が増えてきてかなり怖かったりする😭。テロ後のデモに参加した話はこちら↓)

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(↑バルセロナのクリスマス名物・カガネール(排便人形)。独立運動のときに脚光浴びてた州首相も尻出しに。ヨーロッパのクリスマスはたいていロマンチックなのになぜカタルーニャ地方は!!(そういうとこ好きよ))

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(↑まさか私がスペインの政治家とかスケッチするとはなあ…。だってこの人たちを憶えないことには何もかもがわからなかったのよ)


(3)日本についてむちゃくちゃ考えた
スペインに住んだら、スペインのことで頭がいっぱいになるのかと思ってたら、むしろ「日本」と「日本人」についてすごく考えるようになった。最初は息子が日本人学校に通っていたり、自分がいわゆる「駐妻」という立場だったのも大きいと思う。その結果、日本のいい部分と悪い部分が前よりもクリアに見えるようになった気がする。(それについてはいろんなテーマで各所で書いたけど、たとえばこちら↓)

(こうやってタイトルだけ並ぶとなんか怖いけど…。いや、日本の悪い部分ばっかり指摘してるわけじゃないんだけど…😅だって、日本っていいところがいっぱいあるだけに惜しいんだよ!私は基本、日本大好きです)

そういう流れもあったし、自分の仕事の読者層のこともあるし、日本に住む人のリアルな生活と想いをもっと知りたいなあという気持ちが高まり、オンライン・コミュニティもスタートさせてみた。始めるにあたりむちゃくちゃに悩んだけど、なにごともやってみないとわからない。今のところ、まだまだ人数は少ないとはいえ、ワールドワイドでなかなかに面白いコミュニティになっている(詳細は画像クリックで)。

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(4)息子がファニーな男になった

日本人学校からブリティッシュインターに転校した息子。友達もたっくさんできて、楽しい時間が過ごせた。言葉がヘタでも友達を作るためか、おもしろ力が急激に上がったように思う。彼なりの処世術だったのかもなあ…。変顔と変な踊りが得意になったし、学校のママたちに褒められるときも「funny boy」という言われ方。2年間で2回骨を折るという事件を乗り越え、今や語学も上達し、最近はあちこちから帰国前に遊ぼうとお声をかけていただき、私は秘書のようにあちこちにせっせと送り迎えする日々。ぽっちん、君を誇りに思うよ!!(ちなみに最初の頃はこんなだったんだけどね…。↓しかし最後のオチはいま読み返しても意味わからん笑)

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(↑サンセバの海とぽっちん。いやあいろんなところ旅行した!スウェーデンのゲイカップルファミリーの取材なども2人で行ったので、彼はかなりゲイやレズビアンに対しては偏見がない少年に育ってると思う)

(↑最終的に、英語とスペイン語でコミュニケーションが取れるようになった息子を見て考えたことを書いた記事)

(5)夫とデートするようになった
せっかく海外に住んだんだからと、海外の影響も受けてみた。スペインに住んだ当初は、生活が変わったことがあったし、私の夫はヨーロッパに住んでも長時間労働だったし出張がとんでもなく多かったので、初期は夫婦でかな〜〜〜〜〜〜り揉めたけど、結果的にはいろいろ関係を見直せた。というか、いろんなことが次から次へと起きて、見直さざるを得なかった…。(あ〜描けないこともいっぱいだ😅!デートに関しての記事はこちら↓)


(6)海外に住んでも仕事は続けられるということがわかった
私の仕事(イラストレーター&コミックエッセイスト)は、もともとクライアントさんとのやりとりはメールがメインなので、ある程度は続けられるとは思っていた。ただ、海外で育児をしながら仕事をするのは、私が海外経験値が低いことや語学ヘタレなこともあって、時間的にかなり厳しかった。学校の都合で働ける時間も日本のときより減ったし、両立はムリかもと思って最初は悩んだりした。
そして、正直言うと、ちょっとしたカットイラスト系の依頼(特に新規クライアントさんからの依頼で)はガクッと減った。誰でも描けそうな仕事だと、わざわざ海外に発注しなくてもいいや、と思うのかもしれない。
レギュラーのそういう仕事のいくつかが、「連絡すらなく」終わったりもした。そういう扱いを受けるのは、フリーになって何年経っても慣れなくて、すごく傷つく…。そしてぶっちゃけ、記事系の名前がバーンと出る仕事は、ハデで儲かりそうなイメージかもしれないけど、実際はそんなことはなくて、お金のわりに手間がむちゃくちゃかかり、そして内容によってはボコボコに叩かれたりして金銭的にも精神的にも全く割にあわない。伝えたいこと、書きたいことがあるからやっているだけだ。地味に見えるカットイラスト仕事を大量にこなしたほうが、短時間で、平和な精神を保てながら着実に儲けられたりする(もちろんカット仕事だってクライアントさんによってはストレスは貯まるけど、自分の名前で自分の考えを描いていく仕事のストレスと割のあわなさに比べたらその比じゃないと私は思う)。だから、収入源的に、そういう仕事が減るのは痛いなあと正直なところ思った。
とはいえ、その一方で、これは私が適任、と思ってくれるようなものだと、新規クライアントさんでも大きめの仕事でもちゃんと海外にいても発注してもらえるということがわかった。今はスカイプなどで打ち合わせもできるから、作業的にも全く問題ない。そうか、条件が揃えば海外にいてもちゃんと新規のお仕事を発注してもらえるんだ!というのは発見だった。
(そんな仕事のひとつが「東京くらし防災」。東京中に100万部以上配られた冊子。まさかバルセロナで都がクライアントの仕事をするとは…。これはマンガをどう見せるかみたいなアイデア出しから参加してて、私はそういうの得意だし好きなので、絵柄だけじゃなくてそういうところを認められた部分はあったのかも?詳細はこちら↓)

そして結果的に、レギュラーの仕事で残ったものは、イラスト仕事にしても取材系仕事にしても、私の価値を認めてくれて、かつ仕事相手としてちゃんと大事にしてくださる、かつ仕事的にも有能なクライアントさんばかりだった(本当にいつも感謝しております😭)
そういう流れの中で、いちフリーランスとして「私にしかできない仕事」にさらにもっと特化していこうと考えるようになった。あと、スケジュール的に依頼の全てを受けられないときは、「スペインにいる間は、スペインにいてこそ描ける仕事を選ぼう」と決めた。そして今後、どうしたら、能力が高く人間的にまっとうなクライアントさんと、長く、濃く、いい仕事ができるかを真剣に考えた。クライアントに頼らない独自仕事についても考えた。こういうことは、数年前から意識してたことのだけど(だって、誰でもできる内容の依頼仕事ばっかりやってたら、先細りするの目に見えてるんだもん)、さらにより深く考えるようになった。むちゃくちゃに考えたので、仕事に関して腹が座り、目標も定まってきた。家事手伝いやシッターさんの力も借りて、仕事時間を捻出するように生活も変えた。

(7)スペイン以外の海外でも取材するようになった

個人的な予想外筆頭はこれ。私はもともとフラメンコを習ってることもあったし(バルセロナでも習ったよ〜😄)、スペインはもともと大好きな国。せっかくだしスペインで取材しよう!とは思ってたけど、スペイン以外の海外でも取材するようになったのには我ながら驚いた(語学がまだまだヘタレなのでいろんな人に助けてもらいつつ。みなさんありがとう…!)。結局、スペイン、スウェーデン、フランス、オランダ、アイスランドで取材した。

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(↑アイスランド。どこもかしこも、別の惑星のような風景だった…。火山国なので、このビーチは砂が真っ黒)

(↑最新のオランダ篇。今後、オランダの産後サポートや働き方などを紹介していく予定)

そもそも、なんでスペイン以外の海外で取材することになったかということが、今回いちばん書きたかったことだ。

最初のきっかけは、東洋経済オンラインの「つかれない家族」という連載で、友人家族を取材したことだった。この連載は「家事育児分担と夫婦のコミュニケーション」をテーマで、日本にいるときからやっていたものだ。メインは我が家の話、たまに友人夫婦の話を紹介という内容。でも、バルセロナに来てみたら、グローバルシティだけあって、国籍も多様なファミリーがいた。家事育児や夫婦のコミュニケーションに関して、日本の「普通」と言われることが、いちいち違っていた。
たまたまフラメンコ友達の日本人ママ(夫がイギリス人)が子どもが6人いて、興味深かったので取材を申し込んだ。20年も夫婦をやってる2人なので、1話に収まらず、全3回に分けてレポートしたら、反響がかなり大きかった。私もじっくり話を聞くことで、カルチャーショックを受けた部分もあった。(その記事はこちら。いちばん反響があった回↓)



反響が大きかったこともあり、この他の家族をガッツリ紹介するスタイルが定着した。最初は私の友人家族たちだったのが、だんだんと面識のない人に取材を申し込むようになった。スカイプを使ったり帰省時期を利用したりして、日本に住む夫婦の取材も続けた。多様な人に取材したことで、平和な家事育児分担のための大事なルールも見えてきた。そうやって、こちらで生活したり、いろんな家族を取材したりするなかでどんどん強く思うようになったのは、

「あれ…?日本にいるときは、共働きでもワンオペ育児時間が長いママは周りにたくさんいたし、それでもみんな頑張ってたし、だから私も頑張るのは当たり前だと思ってたけど…。

そして、だからせめて夫婦の家事育児バランスを変えたり、夫婦のコミュニケーションの工夫で乗り切ろう、という方向で考えてたけど…。

それって違うんじゃない??いやもちろんそういう家庭のさらなる頑張りや工夫も大事だけど、その前に大事なことがあるんじゃない?

だって、日本のママパパって、もうすでに、ものすごく、頑張ってる。

パパは長時間労働。ママはワンオペ育児。外を歩けば子連れに冷たい人もたくさんいる。それでも完璧な育児を求められる空気感。細かいルール。政治家が差別発言を繰り返す。シッターや家事手伝いも、前よりは普及してきたとはいえ、まだまだ一般的じゃない。育児支援だっていろいろあるし、育休制度は法律として男女共にしっかりとあるのに(期間や手当に関しては世界的にもハイレベル)使うとパタハラやマタハラにあったりする。

それでも頑張ってる。睡眠時間削って、時短家電導入して、時短の工夫をむちゃくちゃして、とにかく頑張ってる。

それが普通だと思ってたけど、海外から見たらそれは全然普通じゃない。頑張りすぎだ。ママ雑誌に、睡眠時間が4.5時間のママのタイムスケジュールがさらっと紹介されてるのは異常だ。


そもそも、なんでそこまで頑張らないといけないの?

これって、家庭内だけの問題だけじゃなくて、社会システムや文化に問題があるからじゃないの?


ということだった。

そういう気持ちがめばえたので、そのあたりの先進国と言われる国、北欧やフランスやオランダなどに興味を持ち、取材に行った。勉強もした。あと、スペインは北欧諸国ほどは支援が充実してるわけじゃないし経済も豊かじゃないけど(平均年収は日本より低い)、日本よりは子育てがしやすい部分も多い。実際暮らしているから実感としてわかる。それはなぜかも考えた。

今も考えている。まだまだ探っている最中だ。このあたりは深すぎて、広すぎて、一朝一夕でわかるものじゃない。探りながら悩みながら反省しながら勉強しながら発信を続けている。

要するに、海外生活と取材をするなかで、私の考え方や性格が変わったわけじゃない。ただ、視野が広がったのだ。

なので、いま日本に帰っても、仕事のやり方がまた元通りになったりはしないと思う。というか、そうしたい。必要があればまたこちらに取材に来たい。あと、実は、インドネシア在住の夫婦に半年以上前に取材OKをいただいてるので、日本に帰ったら「つかれない家族」アジア篇もアリじゃない?とも思っている(台湾の家族とか、興味あるのよね〜!ごはん基本持ち帰り文化の中の家事育児分担、気になる!あと、日本で育児家事を他人とシェアする家族を取材したい)。

そんなわけで、とりあえず、今やってる連載は全部続きます。今後やりたいことのために、語学の勉強も続けます(こっちはもっと頑張る)。あと、日本に帰ったら「つかれない家族」連載の書籍化も進めたいし、これまた念願のスペインごはんもの連載(お店紹介。実は決まっているのだけど、引越がらみもあってストップ中…。取材は終わってる!)も日本に帰ったらやりたい。あ〜やりたいこといっぱいあるな!




(↑こちらは連載終了したけど、レタスクラブwebでやってたレシピ連載)

あと、本当は海外のお風呂連載やりたいのよね…。

ハイ、ちょっと脱線で宣伝営業でした。失礼しました〜!

そんなわけで、日本に帰ります。

日本の温泉&銭湯、そしてごはんが楽しみです。
友人たちよ、酒場で待っていておくれ。
(あ、友人たちよ、もし安くシミ取れるいい病院や方法あったら教えて…。スペインの太陽にさらされ続けた私の肌がやばいよ…!!)

そしてお仕事関係のみなさま、私がお役にたてることあればぜひお声がけくださいませ。いっしょに面白い仕事をしましょう。

最後にバルセロナの友人知人、そして取材させてもらったみなさんへ。

本当にありがとう!!!

おかげさまで楽しい時間を過ごせて、勉強にもなりました。特に、海外生活の長い日本人のみなさんにはいろいろ助けてもらいました。バルセロナには、素敵で、優しく、面白い、そして人生を楽しんでいる日本人がたくさんいるんだよ。おかげで、こんなヘタレでも、無事に2年間を生き抜けました。いろんな人にお世話になったけど、その代表として、在西20年くらいの建築家・小塙夫妻のサイトを勝手に紹介させていただきます。ご近所在住で、たいへんお世話になって何度も夜中まで呑んで、私は「バルセロナの良心」「バルセロナの仏」と呼んでいました。彼らに建築&インテリアを発注したい方(の中でお金と良識がある方)はぜひチェックを!!


最後にバルセロナのあるカタルーニャの風景を。

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(↑バルセロナオリンピックの開催地でもあったモンジュイックの市民プール。遠くにはサグラダ・ファミリア)

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(↑カタルーニャのパワースポット、モンセラット。バルセロナからすぐでこの風景)

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(↑バルセロネータビーチ。市民サイクルのbicingでばーっと坂を降りて海まで行くのが好きでした)



愛しているよ、バルセロナ、そしてスペイン!

またいつか!

¡Muchas gracias!¡Nos vemos!

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