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いつから宇宙が好きになったの?

 帰省した娘に「おとうさんも note はじめたら? 」と言われ、
「やってみたい気持ちもあるけど、やり方分からないし…」と
やんわりとレクチャーを依頼したら

「お父さんのブログ名でアカウント作っておいたからあとはテキトーに
やってみて」とのこと。

え、使い方は教えてくれないの? あ、今日帰るから時間ないってこと。
「うん、わかった 」と言ったものの、すぐにnoteをはじめるわけもなく

 数ヶ月そのままにしていたのだが、気が向いたので今日から書いてみることにした。ブログでは天体観測日記てきなコトをかいているが、ここではエッセイてきなことを書いてみようと思う。

第1回目は、自分はいつから宇宙が好きになったのか?について自分の記憶をたどってみることにした。

はじめの記憶

いまでもときどき思いだしたように夢にでてくる情景がある。
それは幼少の頃、夜中に父におこされて縁側で見たほうき星のシーンだ。

ボクが縁側に行ったときはすでに母も姉も祖母もいたように記憶している。わけもわからず父が指さす方を見上げると大きなケヤキの木の上でぼうっと妖しく光るながい尾を持つなにかがいた。

あれがほうき星だよ。と言った父のことばはいまも耳に残っている。
それがベネット彗星というほうき星だと知ったのはずっとあとのことだ。

ほうき星がなんなのか、わかるはずもない年だったが、とにかく見たことのない不思議なモノで、なによりもキラキラ輝いていてとてもキレイだったことをおぼえている。

これが宇宙への関心のとびらが開いた瞬間だったと思う。

父の影響

子どもは何にでもすぐに興味をもつがそれ以上にすぐに飽きてしまう生き物でもある。宇宙に対する興味もその中のひとつであって定着するにはそれなりのプロセスがあった。

宇宙への関心がボクの中で高くなった理由として教員をしていた父の影響が多分にあると思う。父はとくに宇宙に興味をもたせようと思っていたわけではなく様々なものと触れる機会をもってくれたようだ。

あるときは、いいもの見せるからこの段ボール開けてみろ、といわれてミカン箱くらいの段ボールを開けたら、中から巨大なウシガエルが箱の外に飛び出してきて、おもわずしりもちをついたこともあった。

アマガエルしか知らない子どもに見せてはいけないモノでしょう!と今では思うが、そういう親だった。

大脱走に成功したウシガエルはここぞとばかりにひと跳び50cmはあろうかという大ジャンプを繰り返して日が暮れて暗くなった庭のムコウにきえていったのだが…

そのウシガエルを手をのばしながら中腰であわてて追いかけて暗闇におなじように消えていった父の姿は、まるで赤塚不二夫の漫画のワンシーンのようで今でもはっきりおぼえている。父にとってウシガエルのジャンプ力は想定外だったらしい。

また、あるときは小学校低学年の背丈くらいある細長い望遠鏡をスーパーカブの荷台にのせて帰ってきたことがあった。多分、父が勤務先の学校から無断で持ってきたものだと思う。

この望遠鏡で見せてもらった月はホントにきれいだった。また、当時はアポロが初めて月に行ったころだったので、いまあの月に人がいる~、すご~い、と興奮しながら月を眺めたことをおぼえている。

自分の望遠鏡

小学生の中学年だった時に火星の大接近があった。
これを望遠鏡で見たかったが父が持ってきた望遠鏡は数日間でリース期間がおわったようで、あっという間にわが家からすがたを消した。

もういちど学校から望遠鏡をもってきたこともあったがすぐ持ち帰ったので望遠鏡でまた星を見たいという気持ちはたかまるばかりだった。

その当時は今よりも天文少年少女はたくさんいて、世の中てきにも火星や宇宙への関心が高かったので親も天体望遠鏡に対しては寛容で、自分の望遠鏡がほしいという子供の願いはすぐかなえてもらえた。

はじめて手にした自分の望遠鏡は口径6センチ、焦点距離1200mmの屈折望遠鏡であった。この望遠鏡は50年たった今も現役で数年前の部分日食のときもこの望遠鏡で観測をおこなっている。

望遠鏡を購入した年は火星大接近の年だったので(というより大接近を見たくて買ってもらった)火星の運河を夏休みの自由研究として観察して、2学期が始まったときに学校で発表したのをおぼえている。

ジャコビニ流星群

当時は天文ファンを飽きさせないほど天文現象がつぎつぎとやって来た。
肉眼彗星が3つ(ベネット彗星1970、コホーテク彗星1974、ウエスト彗星1976)、火星大接近(1972)、はくちょう座の肉眼新星(1975)などなど… 

その中で、いまでもはっきりおぼえているのは、あの世紀の空振り「ジャコビニ流星群(1972)」だ。わが家では、父、姉、ボクの3人で観測隊を結成して3日前には観測記録の予行演習までして世紀の天文ショーの準備をした。なにしろ星が雨のように降ってくるのだ。

1972年10月9日、観測隊は早めに夕飯をすませて近くの空き地に行き、机の上には事前に準備した100個の流れ星を記録するノートをおいてその瞬間を待った。

そろそろかな… 胸を躍らせてはじまる瞬間を待っていたが、天文ショーは一向に始まらなかった。遅れているのかな? だれもがそう思った。いや、そう思いたかったというのが正直な気持ちである。

観測を始めてから2時間が過ぎたころ、まだひとつも流れ星を見てないのに雲がわきだして、あっという間に空から星の光が消えた。これでは流れ星を見ることはできない。しばらく待っても晴れる気配がなかったので、あきらめて切り上げることになった。

ジャコビニ流星群は晴れている場所でも見えなかったというニュースが次の日のテレビで流れていた。のちにユーミンが「ジャコビニ彗星の日」という歌にしたこともあって、天文ファンにとっては永遠に忘れることのできないざんねんな出来事となった。

幼少の頃のボクは星が降ってくるように見える大流星群がどんなものか知らなかったのでそれほどのガッカリ感はなかったが、星が降る夜ってどんなのだろう?ほんとにあるのかな?という思いをもったことをおぼえている。

それから29年後にホントに星が降ってくる夜空を、あの時のボクと同じ年になった自分の娘と見ることになるなんて、まるで漫画のストーリーだが、あの時の「世紀の空振り」がずっと心に残っていたボクへの神様からのプレゼントだったのかなと感じている。

学研の学習雑誌「科学と学習」

そうそう、記憶をたどっていて忘れかけていた出来事を思い出した。たぶん、これが宇宙のことを考えるボクになったいちばんのエピソードだ。

それは学研の雑誌「科学」に載っていた読み物だ。小学生低中学年のころ、学研の雑誌はなぜか学校の理科室で売っていて、販売日になると休み時間に友達と理科室にいって本を買って、それを教室で読むのが楽しみだった。

理科好きのボクは「科学」を買っていたのだが、夏休み前の「宇宙特集号」に載っていた短編小説てきな読み物が当時のボクにとってはとても衝撃的で、その時に宇宙への好奇心がMAXになったようだ。

その物語はタイトルは忘れたが小学生の男の子2人が、近所でうわさになっているあやしい博士の家に探検にいく話だったと思う。

あやしげな雰囲気の古びた家に住んでいるのは博士ひとりだけだが誰もその姿を見たことはなく、いつもブーンという低い不気味な音がひびいている家だった。

2人はその家に近づいて窓から中をのぞくのだが、電気もついていない部屋は昼間でも真っ暗でなにがあるのかもよくわからない。たしかにブーンという音だけが途切れることなくずっと鳴っているのだが、その時…

「きみたち小学生かい?」と後ろから聞こえた声にふりむくと、そこには白髪の博士と思われる人が立っていた。とっさに「あやしい音がするので見にきたんです。」と話すと…

意外にも博士は優しげな声で「そうか、そうか、じゃあ入ってみ見ていくといい」と笑顔で2人を家に招き入れた。

おそるおそる家に入ると部屋の中は暗くてはじめはよく見えなかったが、目が慣れてくると部屋の中央にブーンと音を立てている大きな黒い風船のようなものがあった。

それは人の背丈よりも高くて、よく見ると少しずつふくらんでいるように見える。「そこにのぞくところがあるから中を見てごらん。」博士の声のいうとおりに望遠鏡のような覗き口に目をあてると…

「わあ、星が見える…」そこに見えたのはかがやくたくさんの星々といくつかの銀河系だった。「あれ、うごいている… 少しずつ、少しずつ、ひろがっているみたい…」

「そう、きみが見ているのは本物の宇宙だよ。宇宙は風船をふくらますように少しずつひろがっているんだよ。今も…」

「え、ほんもの?」思わず目をはなして博士の方をみた。

博士は「そうだよ。これはきみたちが住む宇宙を見ることができる機械なんだ。この黒い大きな風船は宇宙そのものなんだよ。今も少しずつ大きくなっているんだよ。」とていねいなことばで説明をつづけた。

「え、じゃぁ、宇宙には、はじっこがあるの? その先はどうなってるの?」博士はそのしつもんには答えることはなくただニコニコしていた。

…というような内容の話だったが、当時のボクには宇宙には果てがないというばくぜんとした思いがあったのだが、はじっこがあるとなると話はべつだ。その時から宇宙のはじっこのムコウガワが気になってしかたなかった。

子どもは好奇心のかたまりが休みなくうごいているようなものだ。そして見えないモノを見たいという欲求はつねにランキング1位である。少なくとも幼少のときのボクはそうだった。

中学生の時に見た大きな流れ星☆彡

そんなわけで幼少の頃から宇宙だいすき少年となったボクだが、天文部や天文サークルに入ったことはなく、ましてや天文を研究して天文学者になろうと思うこともなかった。

そんなボクだったが、星を見ることはずっと好きで、ときどきその気持ちに応えるようにキレイな天文現象が目の前にあらわれた。それは、まるでボクの天文に対する興味を失わないようにしてくれているかのようだった。

中学生の時だった。部活をサボって自転車通学の友だちの荷台にうしろむきに乗って(2人乗りはいけません!)田んぼ道を帰っているとき、とてもキレイな流れ星をみた。

空はまだいちばん星もでていないマジックアワーの時間だったが、空の高いところでひかりだした星がスーッと地平線にむかって落ちはじめた。

「あー」と思わずでた声にかぶせるように友だちが「おー」と声をあげた。ほぼ同時に気づいたようだ。

エメラルドグリーンに光るながれ星は、涙形に見えてうしろにほそい糸のようなすじを曳きながら、ゆっくりゆっくり地平線におちていった。

それはいままでに見たことのないとてもキレイなけしきだった。わすれられない星の思い出。それからも、心にのこる星とボクの出逢いはたくさんあった。

ボクが星を見ること

「晴れていれば、毎日見ることができるけど、決して手に取って見ることができないもの…それがお星様なんだよ」と天文エキスパートのKさんが言っていた。カール・セーガンは「私たちは星くずで出来ている」と表現した。

一見矛盾しているような話だがどちらも正しい。地球上にある元素のすべては夜空にかがやく恒星のなかで作られて、超新星爆発によって宇宙空間にばらまかれ、そして私たちの体を構成する“もと”になった。

ボクたちは宇宙からやってきた。これはゆるぎのない事実だ。ボクが星を見ることは、決して帰ることのできない自分のふるさとをなつかしく思うキモチなのかもしれない。

だからボクは、晴れたときにときどき星を見ているのだろう…。


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