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#「ものの見方を変える」パラダイム・シフト

 先週からウォーキング継続しているハレタケシで。私の記事を見てくださっている皆さんに感謝です。ありがとうございます。

 今回から頭で自分に語り掛けている事を記事に残していこうと思います。

 今日は、タイトルにある「ものの見方を変える」=パラダイム・シフトについて記事を残します。

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※左はプロが描いたイラスト。右は私が真似して描いたイラスト。プロはすごいのが良く分かる。

1.今朝、ふいに浮かんだ内容

 今朝起きて、いつものように外でタバコを吸っていた。頭がすっきりしないし、少し筋肉痛を感じる。

 ふと、パラダイム・シフトが浮かぶ。パラダイム・シフトを意識しはじめた。いつもなら、息子を起こす前に朝食と妻の弁当を作った後に息子を起こす。保育園に間に合わだ。しかし、今日は違った。

 「息子は寝ている。無理に起こす必要があるのかな?」

 「特に急ぐ必要はないのではないかと思った。」

 先々小学校に上がって、”遅刻しないように”今のうちに早起きを習慣づけようといつも考えて起こしていた。

 「それって生きる上で大事な事?と疑問に思った。」

 もしかしたら、自分が小さいときから親に言われたことや、遅刻っていけない事って思っているだけなんじゃないだろうか?

 他の子は早起きして登園も早い、自分の息子も早く登園できるようにしたいと・・・そんなパラダイム・シフトをしていた。

 息子が起きた。自分で起きれる。今日は起こしていなのに、自分で起きることができる。息子にも息子の起きるタイミングがある。その事が大事ではないだろうか。

 そのあとは、がみがみいうことなく、ひとつずつ息子がタンタンと食事、歯磨き(は少し手伝うが)、着替えは十分に自分でそそくさとできる。

 その事をすっごい褒めた。喜んでいた。

 いつもより少し早く保育園に送る事ができた。息子は直ぐに友達と園庭で遊び始めた。


2.パラダイム・シフトは日常のいたるところにあることに気づく

 息子を保育園に送ったあとは、最近始めたウォーキングのために近くの公園へ向かった。

 駐車場につき、キャップとタオルとマスクと車の鍵を持ち、ウォーキング開始。野球場の周囲を二周ほどし、体を温めて、15分から20分柔軟する。

 ウォーキング再開。ふと芝生の一部に石垣がある。

「ここだけ石垣って不思議!」

 はじめ、設計ミスかなっと思った。あっ、設計ミス!そうなのか?

 またパラダイム・シフトが出てきた。自分は設計ミスと思って石垣を見ていた。が、違った見方をすると、デザインにも見える。

 歩き始める。また中途半端な石垣がある。パットみがけ崩れのようにも見えるが、デザインのようにも見える。これもパラダイム・シフトだな。

 また歩き始める。ハブに注意とリアルなイラスト付きの看板がある。イラストが怖い。ふと思った。

「もし可愛いイラストと怖いイラストどっちを怖がるだろう」

 たいていは怖いイラストを怖がる。だけど、もしかしたらかわいいイラストは仮の姿で人食いかもしれない。怖いイラストは本当は優しいかもしれない。またパラダイム・シフトだ。

 この可愛い、怖いは今まで自分が見てきたもの、怖いと思ってきた経験の目からそのイラストを見ているに過ぎないと思った。

 以前の仕事を思いだす。強面だからと言ってその人が怖いと勝手に決めつけているのは自分自身だったな。強面のリーゼントの上司は見た目怖いが、とっても後輩思いで、相談しやすく、優しい人だった。逆に、いつもニコニコして話がしやすい人がいたけど、気に食わない事があった時豹変した。怖かった。そんな経験を思い出した。


3.自分自身がどうしたいかの道しるべと感じる

 ウォーキングが終わり、駐車場へ向かい、着替えをし自宅へ帰る。

「自分も知らない人から見ると、今日は休みで歩きにきている」ように見えるかもなと思った。

 先日、近くに住む幼馴染と久しぶりに会った。幼馴染は今は起業家だ。お金持ちに見える。

 幼馴染は、私の病気の事をしっており、色々助けていただいている。本当に持つべきものは友。感謝です。ありがとう幼馴染。

 お互いに近況を話す。ほとんど私の話だが幼馴染は嫌がる事もなく聞いてくれる。

 話のなかでこんなやりとりがあった。

「今の状況(結果)はすべて自分自身に原因がある。だから、クライアントとや身に覚えのないところでの問題はすべて”自分自身が原因”

 わたしから見ると、幼馴染はとても裕福に見えるし、お金も沢山あるように見える。それは私のパラダイム・シフトがそう見ている。

 逆に、幼馴染は私の今の状況がとても羨ましいと話していた。病気の事をしっているので、病気の事ではない。”療養中だが、働けないわけではない。自分自身を見つめなおす時間。自由を感じられている”ことが羨ましいと。 

 意外だった。他の人から見れば私は羨ましいんだなと。本当は苦しい日もあるし、焦る事も沢山ある。もちろんそんなこと幼馴染は理解している。

 私は幼馴染を”裕福”に見え。幼馴染は私を”自由”とみている。お互いのパラダイム・シフトだ。

 私の病気は、私自身が原因。20代、30代、40代と学生、アルバイト、就職、社会人、そしてまた学生、福祉の仕事と道を選んだのは自分自身だ。今の妻との結婚も自分自身で選んだ事。夫婦喧嘩の原因は自分自身にある。

 ただ、悪い方に選び続けた結果だ。もっと自分の”中心”にあることに目を向けず、周りの、外部中心の生活をしてきた結果だ。悪いパラダイム・シフトだ。

 幼馴染も形は違うが自分自身で選んだ結果が今の状況を作っている。

 私も幼馴染も”何をやっていると楽しい”か、ジャンルは違えどそこは同じだ。

 私は人を集めてパーティーやイベントをしたり、自分の時間として絵を描いたり、物を作る事が好きだ。

 幼馴染も若い頃はギターや車、バイク。社会人へて、あるときこのままでは欲しい物も買えないなと気づき、不動産や事業を起こし、そこに楽しみ感じ、追求した結果だ。

 私も幼馴染も生活環境や裕福さは違うけど、自分が楽しいと思える事への”追及”は変わらない。違うのは自分の選んだ道と選んだ道への努力と”結果”だけだった。

 私はやりたいと思っていた事をせず、親や家庭環境、他人の意見、外部環境中心に生きてしまった。

 幼馴染は、自分自身の中心にあるやりたいことに目を向け、自分で選び、自分のやりたい道を選んだ。

 すべてはパラダイム・シフトと自分の中心にあるものを大切にすることがこれから生きていくのに大切な事だ。

 

 少し長くなりましたが、この記事は今日自分の頭の中で語り掛けていた事を残しただけです。ここまで読んでくださった方の何かヒントのようなものになれれば嬉しいです。

 最後まで読んでくれて本当にありがとうございました。


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