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イタリア⑤ミラノ 2つの最後

初めてミラノを訪れた時、ドゥオモ広場まで地下鉄で移動した。

地下鉄の駅から、地上に出る階段を上がろうとした、その時・・・
隣にいた友達と一緒に、同時に『わあ!』と声を上げてしまった。

思わず、階段を上がる足が止まった。
気持ち的には、2~3段ほど下がってしまうほどの驚き。

薄暗い場所とは対照的に、目の前に、真っ白で巨大な建物が聳え立っていたからだ。
想像していたよりもずっと大きなドゥオモに、二人とも度肝を抜かれてしまった。

ゴシック建築と言えば、まずこのドゥオモを思い浮かべてしまうほど、見事なその姿。
フィレンツェのブログを書いた時にも触れたが、私はこのミラノのドゥオモが、とても男性的に思える。
どっしりと構えて、まるでミラノの街の大黒柱のように、威風堂々としている。

ドゥオモ広場で、建物の正面に立ち尽くしてしまった。
すごいねえ!と何度も繰り返した。

カメラにその姿が収まりきらないので、広場の端まで後退しながら写真に撮ろうとしたのも、懐かしい思い出だ。

教会内部の写真は、残念ながらボケてしまっていた。
とても大きなステンドグラスがあるのだが、そちらの写真もボケていた。

ドゥオモの屋根にも登った。
途中、ドゥオモの外側部分を見られる箇所がある。

その建築や装飾の細かさに、言葉を失ってしまう。
全ての小さな先端が、天に向かって手を伸ばしているように見える。

屋根では、日向ぼっこをしている人がいて、微笑ましくなった。 

遠くにはアルプスも見える。
ミラノまで来ると、だいぶ北に位置するのだと感じる。 

ドゥオモの北側には、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアという、美しいアーケードがある。
イタリア王国初代国王の名を冠したものだ。

このアーケードの中は、たくさんのブランドのお店が並び、大変賑やかだ。

アーケード内の一部分に、何やら人だかりができている。
この牛の急所にかかとを置くようにして、回転すると幸運が訪れるのだそうだ。
私ももちろん、チャレンジした。

アーケードを抜けた所には、マリーノ宮がある。

全ての窓に、イタリア国旗が飾られていた。
エマヌュエーレ2世が、1861年にイタリア公国樹立を宣言した。
そして、イタリア統一150周年の日に、私はミラノにいた。
街はお祭りムードだった。

こんなイルミネーションも。

マリーノ宮の反対側はスカラ座。

スカラ座内部の写真は、パートナーが撮影したもの。
私は、残念ながらまだ入ったことがない。

ブレラ絵画館
美術館内の写真が一枚も残っていなかったので、美術館の外観のみ。

街の中で、こんな作品に出会う。
ジュゼッペ・アルチンボルドの『冬』だろうか?

こちらが、その絵。
やはり、この絵だと思う。
その再現度は、見事だ!

最後にミラノを訪れたのは、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にある、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を見るためだった。
予約がなかなか取れないので、一番早く取れた予約に合わせて、飛行機やホテルを取った。

こちらが最後の晩餐があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。
世界遺産指定されている。(1980年)

厳重な警備チェックの後、待ちに待った最後の晩餐の部屋へ。

私は、絵を見て、驚いた。
それは、4.6m×8.8mという、大変大きな作品だったからだ。
そして、自分の記憶に中にある絵よりもずっと薄く、ぼんやりとしていて、はっきり見えなくて驚いた。

でも、この絵が今も残っている事自体が、奇跡だ。
1498年に、修道院の食堂の壁に描かれ、後には倉庫にもなっていた場所だ。
全く絵の保存などしていなかったのにも関わらず、修復を重ねて、今の姿がある。

撮影禁止だったため、画像はWikiperiaより。 

そして、ミラノには、もう一つの『最後』がある。
それを見るために、スフォルツェスコ城へ向かう。
元々ここにはヴィスコンティ家の城があったそうだが、スフォルツェスコ氏が、15世紀ごろに改築し、今の形になったそうだ。
華やかさに乏しいその姿は、城というよりも要塞という名が相応しいと思う。

実際に、要塞としての機能を果たしていたので、城内の一部は、武器博物館として展示物を見学することができる。

ここでの最大の目的は、ミケランジェロの遺作、ロンダニー二のピエタを見ること。

ミケランジェロのピエタといえば、私はヴァチカンの大聖堂内にあるピエタを思い浮かべる。
作品に名を刻まない彼が、唯一名前を刻んだというその作品は、彼の最高傑作とも言われている。

そして、こちらが彼の最後の作品となったピエタ。
ロンダニー二というのは、ある収集家の名前なのだそうだ。
ロンダニー二氏から、ミラノ市がこの作品を買い取り、ここに展示されるようになったという。

ミケランジェロは、一体どんな完成図を思い浮かべながら、この作品と向き合っていたのだろう。

ミラノは、古くより街が形成されて、特に中世からは、毛織物産地として発展した。
後には、イタリアを支える重工業地帯となる。

流行を発信する街、ミラノ。
そして、イタリアを牽引する街、ミラノ。
その『先頭』をひた走るミラノの街に、二つの『最後』が集まっているという奇妙な偶然が、何故か私の興味を引いた。

150年前のこの日、イタリアが統一した。
イタリアの始まり。
そのイタリアの『始まり』を祝う雰囲気の中で、私は二つの『最後』を見た。

これもまた、奇妙な偶然のように思えた。

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