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人生にも切り取り線があったらいいのに

まあタイトルのまんまのことを思ったりします。

切り取り線のように、それに沿っていけば綺麗に道を進むことができる。そんな道標のようなものが欲しいような、欲しくないような。

無限にある選択肢から何でも選ぶことが出来るというのは自由なのでしょうか。

私は自由だとは思いますが、そこには様々な苦悩や葛藤がつきものであると思います。

選択した結果が正解なのかどうかは、決定した瞬間ではなく、その後の自分次第なのが人生な気がします。

私は春から大学に進学することを決めましたが、これが正解なのか不正解なのかは未知です。

切り取り線のように、進むべき道が記されていればこのような葛藤はあまりしないような気がします。それは羨ましいことです。



しかしそう考えるのはやはりないものねだり、という気もします。

切り取り線、と考えれば分かりやすいように思えますがそれは要するに敷かれたレールを歩むということなのでしょう。

私がそのような人生を送らされそうになれば、きっと自由を求めて反抗しだす気がします。それと敷かれたレールはどちらかというと切り取り線ではなくもう切り込みの入った紙の状態のような気もします。

私が都合よく求めているのは道標、のようなものでしょうか。ぼんやりと進むべき道は見えており、しかし決めるのは自分。

きっとそんな環境が欲しいんでしょうね。

しかし書いている内に切り取り線のある人生はつまらないかも知れないと思ってきました。

結局最初の切り込みも、その後どこを切るのかも自分で決めたい。という風に思えてきました。

少しくさかったですかね。

切り取り線は確かに道標になるし楽なのかも知れませんが、人生というのは不明瞭だからこそ面白みを感じるというものかも知れません。

人生を語れるほど偉くもないですが、ふとそんなことを思った今日この頃です。

以上。またよろしくお願いします。


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