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その身の美しさ

 娘は野村萬斎先生に狂言を習ったことがあった。

 実際は決まった演目をお弟子さん方々に節目節目でご指導いただき、年に1回萬斎先生に見ていただく形ではあったが、とても貴重な機会だった。

 小学生で一応狂言塾は卒業となるため、最後の一年は特に大切な時間だった。ありがたいことに娘は主要な役柄をいただき、熱心に稽古に励んでいた。そして、いざ萬斎先生に見ていただいた時のことであった。

 娘が一人舞う場面で、一通り舞った後、先生が「ん?あなた武道か何かやってる?」と一言。「柔道?」と尋ねられた。残念ながらハズレで「合気道です」と娘は答えた。「ああ〜、それでだね。軸がしっかりしているね。それでブレないんだね。素晴らしい。」と先生。

 さすが身のこなしでそれがわかるんだと感心するとともに、娘と過ごした時間が無駄ではなかったと嬉しかった。中学に入って娘は剣道部に入部し、毎週日曜日の合気道の稽古は卒業してしまったが、小学校1年生から6年生まで私と一緒に稽古していたのだ。その後、私は初段をいただき、念願の袴を履いて今も稽古を楽しんでいる。

 そもそも、子供と武道を習いたいと考えた際に、合気道を選んだのには理由があった。娘なので当然将来的に護身になればとは考えたのだが、空手や柔道など他の武道と違い、一緒に稽古するとしても、娘と戦わずに済むからだった。

 合気道は勝ち負けではなく、一つ一つの技を掛け手(取り)と受け手(受け)で、それぞれに心得ながら鍛錬する。うちの道場は小林裕和師範の教えを大切に受け継ぎ、その風格と想いを継承している。小林師範は、合気道は美しくないといけないと言われ、取りと受けと双方が互いに最善を尽くし、正確な技を美しく行うことを大切にされたようだ。海外伝道が多かった小林師範はフランス語でその審査を記録されたという。

 そんな話を教えていただける、今教えを受けている先生が、今年、第59回日本合気道演武大会で演武された(先生の演武は、開始から12分40秒後から)

 偶然ではあるが、野村萬斎先生の狂言の姿と今習っている萱原先生の姿がとても似ているように思うのだ。

 凛として美しく、静かなようでありながら、その技は受けてみればとても鋭く、何が起こったかわからないうちに自分の体が宙を舞ったり、地に叩きつけられたりする。受け方が上達しなければ、先生の受け手は務まらず、それができないならば、それ以上の技の上達も難しいように思う。

 ああ、もっと早くに出会えて、若いうちから稽古できていれば、とつくづく思う。

 自分の年齢を恨んでも仕方なし。

 老いてお爺になっても子供たちにその技を伝えていきたい。そんなことを夢に描きつつ、明日も稽古に向かう予定だ。

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