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教育とシクロクロス

シクロクロスって、実は教育にもけっこう良いものなんじゃないか、と思ったりしている。今週はそのことについて。

縁あって、キッズカテゴリーの試走の先導役を、今シーズンやらせていただいていた。参加選手が増えて試走が混乱することがあるので、オフィシャルに時間を設けて、ポイントの説明をしながら一周だけ回るのだ。

主にCK1、つまり1・2年生のカテゴリーの担当で、これが面白かった。ほんといろいろな子供がいるのだ。

試走やからゆっくり走りぃや、言うてるのに、本番さながらに少しでも負けたくない産まれながらの闘争本能むき出しの子。

淡々と着いてきてるけど、本番はぶっちぎっていく子。

おしゃべりの方が好きなのかずっと前にいて話しかけてくる子。

試走では最後尾でヘラヘラなのに本番ガツガツとスイッチが入る子。

いつでも終始マイペースを貫く子。

普段子供たちの塊に触れることもないので、それぞれ、な様子が見れて興味深い。

それを見てるし、スタートまでの待ち時間で色々しゃべるので、息子やチームメイトの子だけを見てた頃より、レースが始まると終始チカラが入ってしまう。みんながんばれよーと。

集中してたり、ヘラヘラしてたり、泣きそうになってたり、表情も様々だ。みんな、さっきまでとは全然違う顔になっている。

今年になって本格参戦した息子(CK1)はというと、シーズン最初のうちはレース中もヘラヘラと終始流して走っていた。聞けば、本気出してない、などと言う。さらによくよく聞くと、どうやるのが本気なのか、出し切り方がわかってなかった。

そこで。

ギアを上げて力を込めて漕ぐ、立ち漕ぎ、特にコーナー立ち上がりはスピードに乗せる、それだけ毎戦言ってたら、徐々に成績もよくなった。最終戦では5位で、しかもゴール後に足がガクガクで立てなくなった、という。3位争いをしていて最後の直線スプリントで明らかに売り切れてスカスカで負けたんだけれど、よくわからず勝ててたよりも出し切れた体験の方がよっぽど価値がある。

シクロクロスを通じて、一生懸命なにかをやること、それが結果に出ること、でも出ないこともあること、順位がついて競うこと、そんなの関係なく友達になって遊ぶこと。色んなことを吸収して成長している。それは親が意図してないことも含めて。まあ、もちろん普段からそうなんだろうけれど、それを見える範囲でやってくれているところが、またうれしい。

結局、親が提供できるのは場だけ。教育って、教えて育てることじゃなくて、勝手に学んで勝手に育つ場の入り口まで案内することなんだな。とか思いつつ。

みんな(たぶん)他のスポーツよりも入れ込み過ぎてる雰囲気がないのも、シクロクロス文化的で良いのかもしれない。レースも楽しむし、その周辺も全部楽しむ、みんなで楽しむ、姿勢。それが、普段から自転車乗ってるわけでなくても、みんながんばれよーにつながってる。

もちろん、このキッズカテゴリーの選手の中から未来のチャンピオンが生まれるとうれしいなと思う。それがシクロクロスのチャンピオンなら大歓迎だし、他の何かの、自分がチャンピオンと思えるようなことができるようになる、でも大歓迎だ。

そんなこんなで、最終戦となった柏原、スタート10秒前にいっちょまえに集中してフウッと短く息を吐く息子を見て、吹き出しそうになりながらも、ちょっと頼もしくなったな、と思ったんだった。

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