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あの日を忘れない

できることを続けよう

時間のない人も、余裕があまりない人も、一回の検索で助かることがある。
震災から13年、いまだに復興は完全ではありません。
壊れたものを元に戻すのは大変な時間を要します。
みなさんの行動が、誰かのためになります。

脳裏に焼き付いた恐怖

あの日のことは忘れない。
大きく沈むように揺れてから、激しい横揺れ。当時働いていた会社が入居するビルの壁にひびが入る。そして、窓の向こうにあるdocomoショップが入っているビルの窓が割れ、キラキラと地上に落ちていく。
奥の部屋から物が崩れる音、恐怖の叫び声、一瞬にして大惨事に。
電話がつながらない。かろうじてネットが使え、SNSで情報を共有したり集めたりした。
JRが全て止まり、駅も封鎖したと発表され、社員に方角ごとにグループを作り帰らせる。タクシーが使えるなら、タクシーに利用も可能にし、金額のすべてを経費で精算するとした。
当時は千代田区神田小川町で勤務。住まいは狛江市。
一本道ではなかったので、いったん新宿まで徒歩。
その後、同じ方面はいなかったので一人で小田急線沿いの細い道を歩く。
南新宿で線路を歩いて帰る人の群れを見つけ、便乗する。
意外と歩きにくい。
経堂あたりまで歩くと時刻は23時を過ぎている。
その辺で、電車が走り出すという情報が回ってくる。
変に意固地になったため、結局狛江まで徒歩。帰宅したのは26時。
そんなことを、いつも思い出す。

帰宅困難で学んだこと

それ以来、通勤はビジネスリュックにしている。
両手は空くように。
その方が、万が一、長距離を歩くにしても歩きやすい。

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