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三位一体出産。

3人目を妊娠中だった私。少子化が進む日本で、3人産むなんて狂気の沙汰じゃないという人もいた。一方で、5人子供がいる家族も偶にいることを知った。

正直な話。

東京ライフを謳歌していた私は、なんとなく運命の人に出会えるといいなーとほんのり思い続け、合コンにも積極的に参加。ただ、何となく友達にはなれるものの、女子力の高い面々が揃いも揃っており、全く勝ち目もなければ、こちらもしっくり感を得られないままであった。

ひょんなことから、今のダーリンに出会って、しっくり感半端ない感じで、もう運命が決まっていたかの如くに人生が走り出した。そして、妊娠。ほんのり、自分も子供を産んでみたいと思っていたけれど、まだ渇望という感じではなかった。周りにベイビーを産んでいる友達も少なく、現実味が無かった。そんな感じで妊娠したので、不安で押しつぶされそうだった上に、半月も入院を必要とするくらいの悪阻(つわり)で、妊娠中は極度の体調不良で思考が停止していた。

何となく、妊娠出産というもののキーワードは聞いたことがあったけれど、実際どのような流れで進行するのかすらも無知で、そのまま流されようと思った。知れば知るほど、恐怖が増すと思ったから。陣痛という言葉は聞いていたけれど、「いつ生まれるか分からない」「陣痛は鼻の孔から西瓜が出てくるような痛み」とか知識としては知っていたけれど、現実味が無かった。「破水」とか「おしるし」とかよく分からないから、不安は募る一方。でも、知っても不安は増しそうで、知らない方がまだマシかも。


一人目の出産は突然やってきた。予定日10日前に定期検診で病院を訪れた所、高血圧で妊娠中毒症になっているから、早く産まないとと、その場で車椅子に乗せられ緊急入院することに。ええ?!気軽に来たし、まだ10日前だから入院の物理的準備も精神的準備もゼロですけれど~と思いながらも、道理で体調が悪かったのか、、、と合点いく。24時間尿検査してみて、それでも陣痛が来なければ、陣痛促進剤を使う可能性があると医師の説明。と、とりあえず、ダーリンに連絡しとこう。。。

翌日の夕方に、おっぱいマッサージをぐいぐいされた直後、猛烈な生理痛の激しい痛みがお腹に発生。明らかにこれは「陣痛」だと咄嗟に分かった。「あのぅー!めちゃ痛いんですけど!」と言うと、LDRという部屋に自分で歩いて行ってと言われる。歩いてエレベーターに乗って向かう最中にも、激痛に見舞われ、しばし立ち止まり痛みに耐えながら。LDRとは、「陣痛分娩室Labor Delivery Recovery」の略で、陣痛から分娩まで同じ部屋で行える。トイレ付の個室で、改装したての大病院だったのでとても綺麗。

まだ直ぐには生まれないけれど、陣痛来てるから家族に連絡してねーと言われたので、と、とりあえず、ダーリンに連絡するか~。「直ぐには生まれないけれど、陣痛来てるから、家に帰ってお風呂入ったら歩いて病院へ来てねー」とメール。それは真夏の暑い日。その指示が、その後悪影響を及ぼすとはつゆぞ知らず。

結局22時頃病院にダーリンが現れた頃も、子宮口は数cmしか開いておらず。時折来る陣痛に痛みを耐えながら、ベッドに横たわっていた。その時に初めて、子宮口が10cmになったら出産になると言われ、その途方も無い旅がいつまで続くのか見当がつかず、気が遠のいて行った。お盆真っ只中ということで、人手が少ないのか、その日陣痛の妊婦が多かったのか、ダーリンが着くなり、ちょっと人手が足りないから、二人で頑張ってね、と置き去りにされた。

「ええー?!ちょ、ちょっと待ってくださーい!」

その陣痛の痛みは、数分に一度やってくるビックウェーブで、「来た来た来たー!痛い痛い痛い!」と大声で叫ばないとやってられない痛み。ただ助産師さんは、叫ばない、ヒーヒーフゥと「力み逃がし」をしろという。力んでしまうと、子宮口が硬直してしまい開かないそうで、痛みに耐えるだけでなく、力まないようにしなければならないという、相当な技術を必要とされた。正直な話、無知過ぎて、どうしていいか分からない。もっと出産についてイメージトレーニングして、力み逃がしの練習をしておけば良かったと後悔しても、もう遅いわけで。。。

痛みが来た時に、助産婦さんを抱きしめることでなんとか力み逃がしが出来ていた。しかも、助産師の腕や胸をモミモミするとより緩和された。これは、その時も笑ってしまうくらいに奇妙なことだけれど。助産師がサッと去ってしまった後、ダーリンは代わりにサポートしようと抱きしめてくれるのだけれど、まずもってポイントを押さえてないから、どうにもこうにもサポートにならない。ゴツゴツしてて、胸もないし。その上、折角シャワーを浴びて来たのに、歩いて来たから汗をかいてしまい、ベトベトするので、助産婦さんの代替には到底なしえなかった。そして、通常通り仕事へ行っていたダーリンは夜中うとうとしてベッドの脇のソファでうとうとする始末。かくいう私も陣痛の間はうとうとして、陣痛で目を覚ますという始末。

窓が白んで来て、朝を迎え、子宮口はまだ5cmということで、途方に暮れる。午後になんとか子宮口が8cmになった頃には、もう陣痛は感覚が1分おきくらいで、その痛みも尋常じゃなかった。そして21時間の陣痛の末、なんとか長女誕生。

壮絶な陣痛の戦いは、衝撃が大き過ぎ疲労困憊。更にその直後からとても小さいベイビーに全く乳が出ないおっぱいを吸わせ続けることになり、寝不足の上に赤ちゃんのギャン泣きが畳み掛け、もう精神はギリギリだった。数日後、窓から外の景色が目に入り、(ああ私はこういう世界に昔生きていたんだったっけな、急に別世界に飛んで行ってたかのような気分になってたなー)と自分の感情の揺らぎが興味深かった。退院して、次第に乳も出るようになり床上げで、一ケ月検診へ行くためにベイビーを抱え、恐る恐る外へ出る。そして、真夏の太陽の光はあまりにも強く、せわしなく行き交う人々に、ああ世界はちっとも変わらず周り続けてるのだなと、また別の星から戻って来た感覚に陶酔した。

よく「あの陣痛懲り懲りだから、2人目欲しくても躊躇する」と友達は言った。でも私の場合は、妊娠中の悪阻の方が遥かに地獄だったわけで、陣痛が痛いとはいえ、1日以内に済むのだからまだマシ。夫婦共々、年子の2人っこなので、これは続けて行こうということになった。1人目の妊娠出産は本当に身体的にも精神的にも大変だった。だからこそ、この経験を1人だけでは勿体無いと思ってしまった「出産パラドックス」。きっと大抵の人は懲り懲りとなるのだろうけれど。

長女がハーフバースデーの時にちょうど生理が来て、めでたく妊娠。

長女とは対照的に今度は年末が予定日。次は自宅にもう少し近くの大病院にした。初回の大病院は、安心だし綺麗だしなんだけれど、同じ所だと記憶がごちゃ混ぜになりそうだし、色々経験して違いを知りたいと思った。更に、確かに壮絶だった出産だけれども、通常の自然分娩だと、どこの病院でも大差ないと判断、きっと少し安くなるかなという淡い期待も込めてここをチョイス。

確かに費用は少し安かった。ただ、婦人科の隣に内科があり、隣り合う待合ソファにはいつも風邪ひきのおじいちゃんおばあちゃんがいてゲホゲホ。初回の大病院はキッチリ感染防止に配慮してフロアすら分けてあったので、その時点で少し格差を感じた。毎回の検尿の際のトイレも非常に狭く、衛生面での配慮に欠けていた。でも、まあ安いからと堪えた。

2人目だから早いかなーと、クリスマスの頃からソワソワしだしたけれど、ちっとも音沙汰がない。予定日も過ぎ、お正月もあれよあれよという間に過ぎ去ろうとしていた。夜入浴中に、あああ痛い!と思ったけど、前回の経験を踏まえると、きっと陣痛は長く掛かりそうだし、取り敢えず寝て明日の朝病院行くかと思い就寝。やはり、痛い!このままだと、痛くてタクシーで病院行くのも出来なくなる前にやはり病院へ行こうと決意。病院へ連絡すると、2人目だから早く病院来て下さいと急かされる。深夜だし、ダーリンは起こさず取り敢えず一人で行くかと、ゴソゴソ準備して出掛けようとしたら、ムクリとダーリンが起きて一緒に行く事にした。
徒歩でも15分くらいの距離なのに、タクシーの中でも、痛たたたたた!というのが数回あり、病院へ着いた時には、支払いにまごまごするダーリンをエレベーター前で待ってる時にも、もう失神しそうな痛みで叫んでると、夜勤の医者達が心配そうに集まって来た。なぜか私は冷静で、「ああ、陣痛なんで気にしないで下さい」と気丈に振る舞った。病室に着いてすぐ検診すると、ああああ子宮口が5cm。取り敢えず、これに着替えて分娩室行きましょうと言われ、痛くて動作が止まりながら急かされてなんとか分娩台に上がる。ああ、もう子宮口8cm!「まだ力んじゃダメ!」と言われても、もう体が力んでしまう。そして、「はい、力んで!」と言われ、3回くらい力んだら、「はい、産まれました!」と。陣痛深夜0時に来て、0:30に病院着いて、2:45にもう生まれてしまった。産道が出来てるって、流石だな!出産当日は0日目と数える。初回は夕方だったから、すぐ1日目に突入したけれど、寝て起きて朝ご飯食べても、まだ0日目。しかも陣痛が短かったので、体力消耗しておらず、あれっ?もう帰宅しても良いくらいなほど。更に、初回の病院は完全母乳奨励で、初日から母子同室で、出なくても乳を吸わせるスパルタ式だったけれど、今回の病院は緩々。逆に断っても粉ミルクを飲ませてしまう古い体質の病院。まあでも、退院してから二人の面倒を見なきゃいけないし、床上げまでの一ケ月は極力動かない方がいいと言われるので、入院中は甘んじてゆっくり休もう〜。夜寝る時に預かってくれるのも非常に有り難かった。

育休を活用して、夫の11ヶ月海外赴任に一緒について行った。ブラジルという未知の国で、ベイビーの最初の一年は予防接種とかあり心配はあった。でも、実際調べてみると、日本とほぼ同様の予防接種が実施されており(BCGは日本では3ヶ月歳から4ヶ月歳に遅らせるところもある中、ブラジルでは誕生直後などの違いはあるものの)、更に公的医療機関だと、外国人ですら無料と言うことで、日本にいるのと同様費用が掛からず助かった。

育休で少し落ち着き、日本を離れ、テレビも見ない生活を続けると、自分の人生とは?幸せとは?を色々考える事が出来た。東京に居たら様々な情報が入ってきて、既存の人間関係も継続し、なかなか難しい「人生のデトックス」が出来た。ただまだ、思いっきり文字通り転職する準備が出来てないから、もう一人産んで育ててる間に模索したいという気持ちになった。また、私達は2人っこだけれど、ダーリンの友人には3人子供を産んでいるケースが多く、私達も3人育てられるんじゃないか?という気持ちがドンドン強くなっていった。3人だと多い気がするけど、2人だと少ない気がする。こういう場合、やってみないと分からない。だから、挑戦的妊娠をする事にした。妊娠検査もせずとも、妊娠6週目位に嘔吐が始まって、妊娠したと確信。メイドインブラジルだった。

帰国後まだ通勤は先になりそうだから、数年はダーリンの職場に近い所に住む事にした。地球の裏側から、ネットで家探しをしつつ、病院も探さなくちゃと3月15日の帰国を目前に、次の家と病院が決まってない不安はかなり大きかった。土地勘がないので、出産する病院をネットの海で探してると、ダーリンの職場の近くでランキングが高い産院があった。大病院は経験して、3人目だから産院で産んでみるのもいいかも!ダーリンも直ぐに病院来れるし、ランキングが高いから安心そうだし。また2回目のような古い体質の病院で箇所箇所イライラするのも嫌だったし。ただ、帰国の際には12週目くらいだろう。 HPには12週目では受付終了していると記載されており震撼する。分娩予約を取るために、幾つも病院を回るなんて考えただけでも吐きそう。なんとかここで受け入れて欲しい。藁にもすがる思いで、3月15日月曜に30時間のフライトを経て地球の裏側のブラジルから日本に帰国。火曜には住民票を移し、水曜の朝一受け付け開始前病院の玄関に立っていた。するっと、私の脇を通って院内に入る人が出現。なんだ、中に入ってもいいのか!すこぶる勝手が分からない。妊婦にしても、スタッフにしても、入れますよーと教えてくれても良いのに!この地域は不親切なのかと不安になる。まぁ取り敢えず、受付へ。週数によっては当院では受付終了しており、お断りする事があります、最後の生理は何時ですか?と聞かれるけれど、まだ今回は来てないので来てませんと言ってなんとか医師に診察してもらえることに。隣では妊娠4週目ですという人が受付していて驚愕。まだきっと悪阻もない時期だよね?計画出産でないと分娩する病院の確保からしてこんな状況だったら、本当少子化の進行は避け難し。

医院長は気さくで良い人で、エコーで見るなり、「デカ!」と言われる。そか、ここへ来る人は妊娠4週目とかだから、めちゃ小さいのか〜。2人目の時も妊娠してすぐ数週間でクリニックに行ったら、妊娠してますけど小さ過ぎてなんとも、、、という対応を受けたので早過ぎても受け入れられない印象があったけれど、塩梅が難しい。「あのぅ、、先日までブラジルに居て、病院に来れなかったですが、なんとかここで産みたいんです、、、」と懇願。医院長は、「僕の命が危ないんでね、、、」と呟きながらも、「はい予定日は9月30日!」と言ってくれ、無事に分娩予約を確定出来て一安心。

そして、3人目の出産は予定日より早まるのか遅いのか?いつもの如く、ずっと体調悪かったので、38週目突入してガッツリ2時間以上歩けと言われても、依然ソファの上の石と化していた。更におばあちゃんが風邪をひいて家族全員に感染。もう一日中寝たきりな臨月。またもや予定日を過ぎてしまうかと不安が過ったが、予定日の5日前の金曜の朝。数日前から骨盤に頭がセットされてる感があり、良く考えると夜中軽い陣痛があったらしい。朝起きるといよいよ、軽く痛たたた、となるも2回目の時ほど激しくない。妊婦が恐れるのは、病院へ陣痛だと行ってもまだまだといって一旦家に帰されること。渋る私に仕切りに病院へ行こうと急かすダーリン。どうやら、病院へ辿り着く前に生まれてしまうことを恐れてたらしい。朝7時に一度病院へ電話するも、いなされる。いずれにせよ、シルバーウィーク明けで週一の検診へ行く予定だったので、「陣痛タクシー」を呼んで、9時に病院入り。陣痛室へ通されて、「子宮口5cmでまだ10分毎で1分も続かない陣痛だから、まだまだですね、、、頑張れば夕方生まれるか、何だったら家に帰っても良いですけど、、」と言われ焦る焦る。なんとか昼食を済ませてから、階段を昇り降りすると3回に一度陣痛が来た。ダーリンは、律儀に時間を計測して、8分間隔、7分間間隔と教えてくれる。助産師には、陣痛が1分間隔位で分娩室へ行くと聞いたからだ。普段ちっとも気が利かないと思ってたダーリンがここへ来て、凄く頼りになってビックリ。陣痛と闘っていると、時空が歪む。1分も5分くらいに感じるし、8分も1分位に感じる。助産師に陣痛間隔何分ですか?と聞かれても、ハテハテ?な感じなのだ。

と、突然ソレはやって来た。階段昇降に疲れ少しベッドで横になりながら陣痛に耐えてると、バチーン!!と子宮口の辺りで物凄い音がして、どろーと大量の液体が流れ出した。ああああ、これが所謂「破水」というヤツか!破水とは羊水が溜まってる袋が破れる事で、直ぐに病院へ行かなきゃならないと聞いてたから、病院にいるとはいえ焦ってナースコール!直ぐに助産師が来てくれたけれど、「あんまり長い間生まれないと赤ちゃんが苦しくなるけど直ぐにどうこうじゃないのよ」と言ってまた去って行った。あんまり、ってどのくらいよー?!とハテナマークに脳を支配されながらも、陣痛は激しさを増す。「痛ーい!」と叫ぶと、ダーリンがすかさず尾てい骨の所をさすってくれた。ああ、痛みが緩和される!なに?すっかり忘れてたけど、ダーリンは覚えてたのね!上2人の出産の際には全く助産師の代わりにはなれなかったダーリンが、3人目の際には急に「出産のプロ」と化していた

と、突然夕方16時にソレはやって来た。突然陣痛が畳み掛けて来た。陣痛の波が折り重なる。ナース呼んでくる!とその場を離れるダーリン。(おいおい、ナースコール押せばいいでしょ!)と思いながらも、突っ込む余裕も無く。「じゃじゃじゃ、分娩台へ行きましょう」と言われるも、痛みの九十九折の中、歩くのもままならない、、、こういう時にこれが日常の助産師達は全くたじろかず「早く分娩台上がっちゃわないと、、ほら痛くない時に!」と畳み掛けてくる。「物事には順番があります!」と私は叫んでいたらしい。痛みと精神が落ち着いてから動かないと、体がチグハグになってしまいそうだったから、そんな無下に急かされても出来ないものは出来ないのだ。「ああー力んじゃう!!!」と叫んでしまう。過去2回、この時に散々力み逃がしをさせられてたので、今回も「力んじゃダメ!」と言われるかと思ったが、なんと「もっと力んで!」と言われた。もう、そういう段階に突入していたのだ。ただ、長いつわりの妊娠期間ですっかり体力が衰えてしまっており、思いっきり力むというのも難しいのだ。

2回目の時は3回くらい力んだら出たけれど、今回はそれ以上必要だった。それでも、陣痛の九十九折攻撃から40分経った時には、もう生まれていた。ダーリンが、「今回は営業時間そのものだったね、、、9時に病院着いて17時に終わる。初めて出産が終わっても眠くないのが嬉しい。」と呟いた。

出産が終わり、分娩台から降りる時も、ダーリンが力良く支えてくれてる脇で、助産師が呟いた。「随分優しいねー日本人の夫はただ横で見てるだけだよー」と。確かに、つわりで全く家事が出来なくても一言も文句も言わず、何とか支えようとしてくれるダーリンがいたからこそ、乗り越えられたというもの。痛がってると「赤ちゃんが一番辛いのよー」と助産師に言われたように、ベイビーも狭い産道を大変な思いをして出てくる。ダーリンも痛がっているワイフに何が出来る訳ではないけれど、一生懸命支えようとしてくれる。まさに、私とベイビーとダーリンの三位一体出産だと言える。

さて、3箇所(大病院2箇所と産院)で出産してみて、それぞれに良い所悪い所があるんだと分かった。今回は、ランキングの高い産院ということで、全ての産院には当てはまらないけれど、最後にここで産めて良かったと思えた。

〇広尾の大病院…完全母乳支持派でスパルタ

改装したてで全ての設備が綺麗で、LDR(陣痛室分娩室一体型)で分娩、数万円プラスで水中分娩も可能(私も希望していたけれど、高血圧ということで不可に)。誰でも立ち合い可能。ICU(集中治療室)があり、何か緊急事態が起こっても安心。常時10人以上の産まれたてベイビーがいるので、比較対象も出来る。料金は、65万円くらい(手当金が45万円くらい出る)。

大病院なので、毎回の検診がすこぶる待たされる。検診予約とっているにも関わらず半日仕事。特別料金を支払わなければ、毎回先生が異なり(私はそんなに気にしない)、太ってる先生に太り過ぎと注意されてダーリンが怒っていた。ただ、やはりエリート医療機関ということで、ナース達もちゃんとしていて、疑問に思うことが無かった。

初めての出産後の大仕事は、母乳が出るまで。陣痛が来る前におっぱいマッサージされた時に、痛いと叫んだけれど、乳首をグリグリされるので、本当に痛い。更に、まだおっぱいが出なくても、ベイビーに吸わせて、乳腺を貫通させていくのだ。。。ベイビーはお腹の中から出てくる時にお弁当を持ってくるので、退院の時に体重が減っていても大丈夫ということで、粉ミルクを足さず母子同室でお腹が減って泣き叫ぶベイビーをずっと抱っこしなければならないというスパルタで、精神がギリギリになる。

3か所経験して、やっとスパルタだったことが分かった。一番最初なので、スパルタなのか、最初はこんなに辛いものなのか分からないまま、、入院生活を送った。ただ、そうでもしなければ、母乳育児は諦めて粉ミルクでも良いかも~と思ってくるくらい、母乳が出ないとベイビーが泣いて辛いし、吸わせないと出ないという辛さがある。

〇恵比寿の大病院…一等地にありながら、高齢化社会の縮図の目黒区。お年寄りが足繁く通う古い病院。

設備が古めで、考え方も古め。毎回の内診は必要か不明。ICUが無いので何かあったら提携先に搬送されると言われた。入院中は有無を言わせず、母乳と粉ミルク併用(夜中預かってくれるから楽)。産まれたてベイビーは5人くらい料金は、59万円くらい(手当金が45万円くらい出る)。私同様2人目の出産という人も多かった。

産婦人科の隣が内科で、検診のたびに隣のソファーのおじいちゃんおばあちゃんの咳が気になって仕方ない。検尿も妊婦以外も使用するトイレで行い、別の菌がつかないか冷や冷やした。

毎回の検診で、子宮に指を入れて内診があり、前回無かったので驚いた。子宮頸癌の傾向があるとの判定が出て、驚くが、友人も同様の診断が出ていた。

4人部屋の陣痛室と分娩室が分かれており、LDR経験者からすると、ええーっと驚きを隠せなかった。設備もやや古めで、2回目なので堪えれたけれど、初めてだと少しキツイかもしれない。

〇横浜の産院…ネットランキングで非常に高い評価。

3階建てのビルでこじんまりしていているけれど、内装は綺麗で改装したて?と思うほど、ドアやシャワーなどは最新の物が設置されている。妊娠10週くらいで分娩予約は終了。CIU(集中治療室)も無いから、何かあれば提携先へ搬送される。また、ハイリスク(前回帝王切開、高齢出産、肥満)は受け付けない。産まれたてベイビーは0人~5人程度で、ベイビーが並んでいるのを見れるガラス張りは無く、個室の場合他のベイビーを見ずに過ごす。出産費用は、56万円位(45万円の手当有り)。

人気があるのも頷ける。まず、2人目は3人目の出産が多かった。プレイゾーンも有るし、検診の際に子供連れの場合子供にお菓子をくれる。更に、親子入院と言って、希望して個室が空いていれば、1日目から上の子も病室に泊まれるという(しかも個室料金は無料!)。実際ウチも3歳と1歳半でママと離れるのは少し厳しいから、そういう選択肢があるのは精神的にも有り難かった(実際考えてみると、産後直ぐの身体で、相手して欲しいと騒ぐ上の子の相手をしながら、ベイビーのお世話。またベイビーの世話をしていることで上の子達は更に騒ぐという悪循環が予想され、断念)

初産だと、自分のベイビーが通常なのか不安で、他のママがやっている様子を観察して学んだり、話して色々先輩に聞いたりするのも良いかもしれない。が、もう経験がある場合、このこじんまりとしたサイズがゆっくり休めて良い。入院当初は5人の産婦が入院していたけれど、私が退院する日はもう1人が同時に退院して、0人になっていた。人数が少ないといつでもシャワー浴びれるし、お見舞いの騒ぎも最小限で実に静かに過ごせる。3階の病室からベイビーを抱えてナースステーションのある2階まで降りるのは少し危険があるということで、病室までベイビーを持ってきてくれるので、殆ど動かなくていい。

医院長が診察も分娩処置も全て1人で行っている。陣痛はいつ来るか分からないから、これだと突然フリータイムというのはあっても、旅行にも出かけられないし、予定も突然キャンセルせざるを得ない事態も多々あるように思う。せめて医師は2体制に出来ないのだろうか?この過酷な勤務状況だと、産院が減るのは頷ける。

普通の人が恐らく1回目で分かることを、私は3回しないと分からない程の鈍感体質なんだと思う。3回の陣痛で漸く、陣痛って痛いから懲り懲りと思え、良く考えると妊娠中はずっとつわりが続いて、ダーリンと過ごした3年半殆どがつわりだった…そりゃ、ダーリンも「もう3人で充分。やっと家族が完成したね!」と言うはずだわ。。。

さて、3人の子供が出来てどうかということだけれど。

良い!

1人目生まれた時は、疲労と不安で、幸せを噛み締めることが出来なかった。

2人目生まれた時は、初めて家族という感じがした。きっと、大人と子供の数が均等になったからだろうか、、勿論2回目の出産ということで、幸せを噛み締める余裕も出来たからだろう。

3人目が生まれた時は、大人の数を子供が超えて、自由な感じがした。子供も2人だとお互いだけなのが、3人となると様々な関係性が出てきて面白い。よく「三本の矢」と言われるが、2人ではグラついてたのが、3人になった途端三脚のようにしっかりと自立したイメージだ。かくして我々は三位一体となって家族になった

1人産んだ時に、これを3回も繰り返すなんて!と思ったが、実際には違う。経験により知識や設備を得ているので、2人目3人目が出来れば出来る程、1人当たりの単価は下がっていく。更に上の子が下の子の面倒をみたり、下の子は上の子を真似て学んでいくので、手が掛からない。これが、「子沢山パラドックス」なのだ。

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