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保育園闘争の顛末。

ルミコハーモニーは、4歳を筆頭に3歳、1歳と3児の母。

2012年初めて第1子を出産した際、にわかに保育園闘争が矢面に出て来た頃で、そのプレッシャーに押し潰されそうだった。目黒の駅前に住んでいたので、近くに綺麗な区の保育園がありそこが良いな〜と淡い期待を抱いてた。しかし、次第に目黒区の家族にとっては、子供を預けて自転車も置けて、目黒駅から楽々出勤が出来る最高のローケーション。フルタイムの共働きだけでは、その熾烈な闘いには勝てない雰囲気が立ち込めて来た。無認可に既に預けて働いているとか、エキストラポイントが無いと勝てない。

0歳で保育園には入れないのは、1歳でも保育園に入れる枠は本当に微々たる数なので、絶望を意味している。このままずっと保育園に預けられないというのは育休から復帰出来ないのだから。

神様はいるのかもしれない。渋谷駅の前のマンションを友人が貸してくれると一報が入る。負け戦さに挑むよりは、僅かでも可能性に賭けよう!ハーモニー家は急遽引っ越した。渋谷区で続々と受け入れの電話があった日、ハーモニー家の電話は鳴らなかった。落ちたかー、、、覚悟はしているものの、その落胆はトラウマものである。翌日の朝、電話が鳴った。「保育園ですけど、4月からのご入園について、、、」あまりの驚きで声が出なかったので、電話口の保育園の方がもしかして辞退します?と不安を覚え始める始末。声を絞ってなんとか「はい!入園します!」と言って電話を切った。あれは、急遽辞退者が出た繰り上げ入園だったような気がしてならない。

入れると入れないのは僅かな事なのに、雲泥の差。綺麗な施設で優秀なママ友達にも出会えて、最高の1年だった。何より、子供を8ヶ月で預けて働ける喜びは何物にも代え難い。1人目の時、子供は可愛いけれど、社会との断絶が本当に辛かった。誰かのママや誰かの妻だけで終わる人生が何度も過ぎり、人生とはなんなのだろうと哲学的な問いが頭を駆け回っていた。問題解決するのは、やはり踏み出す事。仕事に復帰して、子供と過ごす時間が減るけれど、逆にその分一緒にいる時間は全力投球出来る。24時間365日子供とずっと一緒にいたら、エンドレスな日々に備え、省エネモードになり、意欲的に活動しようという気が全く起きない。

しかし!しかし!実は仕事復帰と共に第二子の妊娠が発覚していた!特にハプニングではなく、意図的ではあったのだけれど。半年復帰して産休に入った。兄弟枠で2人目は1人目よりは入りやすいかな〜と淡い期待もあり、年齢は近づけた方が良かったし、私自身の年齢も考えての事だった。2人目は1月生まれだったので、2次募集での保育園エントリーをと考えた矢先に。

「ブラジル行きが決まった!」夫がボソリと呟いた。はいー??!!アレアレ?ちょっと待て。

た、た、た、確かに、よく考えればそんな話があった〜!育休中は特に失業保険の様に月1でハローワークに行く必要もない事が、第1子の育休を経てわかり、ブラジル逗留の可能性があったので、GOしたという事もあったのだった!しかし、ブラジルタイムでちっともGOが出ないから消えた話だとすっかり忘れてた話だった!ブラジル11ヶ月逗留プラン。それはきっと良い経験になるに違いなかった。でも、待てよ。引越ししてまで獲得した保育園を捨てるの?(保育園は2ヶ月休むと席を失うそう)そして、2人もいるのに?一度辞めてしまってからの復活は困難過ぎる。うーん。ここは、夫には単身赴任で行ってもらい、第1子は保育園に通園させよう、という私の意見は夫には理解出来なかったようで、「ブラジルは全員で行きますよ」と一蹴された。

かくして、引越しまでして獲得した渋谷の認可保育園を一年で泣く泣く退園し、4月から3月の11ヶ月間ブラジル逗留をした。

3月中旬に帰国。それは、保育園の可能性はゼロを意味する。滞在した横浜は腰掛けで良い物権があれば、すぐ引っ越そうと話しており、結局2年間、実母との喧嘩を乗り越えて、実母の協力を得て、3人ホームスクーリングという時代を楽しんだ。返って英語のYoutubeやフィンランド語に絞ったので、マルチリンガルな生活によりマルチリンガルを実現出来たのだった!が、3人もいるので、1人で面倒みるのはなかなか困難なわけで、第1子は4歳になり同世代の友達とも遊びたいし、という事で、遂に2017年4月入園の横浜の保育園にエントリーした。3人も産んだのは自己責任なのだけれど、3人を3ヶ所の保育園へ送り迎えするのは困難。更に歩いていける所はほぼ無く、電車に乗っての通園も含めたエントリーをした。が、結局第2子のみ保育園受け入れの通知が来たけれど、4歳の子がダメだったのは落胆した。横浜は保育園待機児童ゼロと謳っていたけれど、実際は保留児童と呼び名を変えているだけで、大量の児童が保育園に入れない事実は変わらない。

1月下旬、寝ながらネットサーフィンしていて目に止まった物権を夫に呟いた。「これ良くない?シェアするわ」その物件情報を見た夫も「そね〜良いねぇ〜」確かに気になる。内見だけでも行こうか。早速知り合いの不動産屋さんに連絡して、翌日の夕方物権を内見。うん、良いね!ここに引っ越そう!ファーストデートから一緒に住み始めたハーモニー家は、家を決めるのも即決だった。

なんだかんだで2月末の保育園2次募集エントリーに間に合ったのを知ったのは転入届けを出した時に区役所から案内されての事だった。折角横浜で第2子だけでも保育園が決まってたのに、泣く泣く辞退した際、最悪また3人ともホームスクーリングでも仕方ないと腹をくくった。一歩踏み出すのは勇気がいる。何かを捨てなきゃならないから。でも、子供3人もいるとどんどん学校などが絡み、引越しし辛くなるのは目に見えている。今ならまだ打撃は少ない。

2次募集の保育園の枠数が発表された。1歳児は皆無なのは仕方ない。が、姉妹同じ保育園に枠がある4園にエントリー出来そう。徒歩片道30分とかなので、あの良くある前と後ろに子供乗せて自転車漕ぐ送り迎えかぁ〜。頑張るしかないけど、、、ま、先ずは書類にミスが無いよう、一度事前に区役所に相談に行くか、、、

区役所の人は、「え、これでは毎日大変ですよ〜」と言うけれど、いやいや、だけど他に選択肢ないし、仕方ないやん、、と涙が出そうに。3人の子供の面倒みるって大変さわかって欲しい〜。「自宅から徒歩10分で駅に近い所にも有りますよ」
神様はいるのかもしれない。若しくは私が馬鹿すぎるか。なぜ、そんな大切な情報を見逃したのか?事前確認に来て良かった。しかも、3歳児10枠、4-5歳児65枠というミラクル。期待しちゃうじゃない〜。「2次募集ってハーモニー家みたいな転入して来た人くらいで大抵の人は1次募集でエントリーしてるよね?」と期待を煽る友人達。お願い〜これ以上期待して崖から突き落とすことだけはしないで欲しい。

そして、今日。無事に上2人姉妹は見事第1希望の保育園に入れると連絡が来た!パパの通勤電車の駅でもあるので、偶にパパの送り迎えも頼めそうだし。

つまりは3歳以上だと幼稚園へ転園する子がいるので、比較的枠が空いているのだ。もし、保育園が決まるまで待ってくれる会社なら(そして私の会社はそうだったけど、当時は不安でいっぱいだった)、3年くらい育児を楽しむのも良い気がする。第1子の保育園に預けた1年間も、保育園には入れず3人と過ごした2年間もどちらもプレシャスだった。

そして、その保育園エントリーのため就労証明書を発行したのは、4月から園長として働く築地の無認可保育園だったというオチもあったり。(そこに預ければ良いではないかという話もあるけれど、電車乗り継いで3人連れて行くのは困難過ぎるわけで)

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