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アロマンティックでアセクシャルな人達。

自分には縁のない言葉のせいか…
最近まで、気にも止めていませんでした
NHKドラマ「恋せぬふたり」を観て
不思議で、とてつもなく、
もやもやした気持ちになりました…
果たして本当に幸せなのであろうか?
アイドルの推しも居なければ、美男美女を見ても ときめかない人達…脳科学的、生物学的にはどのような状態なのでしょうか…気になって仕方ありません…

もしも、アロマンティックでアセクシャルな人ばかりになった未来における社会・経済・人口に与える影響を考察する。このような未来が現実となると、パートナーシップや繁殖行動への関心が低下すると予想されます。
これにより、結婚・出産率の低下、労働力の減少、市場の変化などの要因が生じる可能性がある。また、アロマンティックでアセクシャルな人たちが多数を占める社会では、人間関係や性的指向に対する価値観や概念の変化が生じることも考慮される。
将来の社会において、このような人々への理解と共存が求められるだろう。
そして、アロマンティックでアセクシャルな人たちが過半数を占めるような未来が現実となる場合、社会や経済、人口には大きな変化がもたらされる可能性がある。まず、パートナーシップや繁殖行動への関心が低下することが予想される。アロマンティックでアセクシャルな人たちは恋愛や性的関係に対して興味や欲求を持たないため、結婚や出産率が低下する可能性がある。
結婚や出産は、人口の増加や家族単位の経済活動に影響を与える重要な要素であり、その減少は人口構造や労働力に大きな影響を及ぼすことが考えられる。さらに、アロマンティックでアセクシャルな人たちが増えることにより、労働力の減少が生じる可能性がある。経済成長は労働力に依存しており、労働力の減少は経済に悪影響を及ぼす可能性がある。一方で、労働力の減少は労働市場や社会保障制度の変化をもたらすため、社会構造や政策の見直しが必要となるかもしれない。
さらに、アロマンティックでアセクシャルな人たちが多数を占める社会では、人間関係や性的指向に対する価値観や概念の変化が生じることも考慮される。現在の社会では、恋愛や性的関係が重要な存在とされており、それによる結婚や家庭が一般的な価値観とされている。
しかし、アロマンティックでアセクシャルな人たちが増えることで、これらの価値観が変化するかもしれない。個人の幸福や人間関係の形成において、恋愛や性的関係以外の要素が重視される可能性がある。

こういう志向の人達が幸せに生活しているという事は解ったのですが…謎が深まるばかり…

やっぱり、このテーマに向き合っても不毛というか物悲しさか残りませんね。


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