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まずは苗を植えるところから

5月23日、24日と2日間新しいまちづくりの学校にオンラインで参加してきた。

参加者のみなさんと対話しながら自分自身を考え、ゲストの塩尻市役所の山田崇さんのお話を聞きながら頭の中をたくさんのキーワードが飛び交う。そんな2日間から2週間がすぎた6月6日。

今日は10時から12時の2時間、参加者のみなさんと2週間たった今、というところで感じること思うことを話す時間を過ごした。


そんななかで出てきたお話のうちの一つ。


「トマトの苗を植えてトマトができること自体はそこまで面白くない」

「トマトの苗を植えることで何か色々なことが周辺で起こり、結果的に涙がでた、とか、お裾分けでサバがもらえたとか、予想しなかった出来事が面白い」

というお話。


確かに予想しなかったことが起こることの方が面白い、わかる。と思いながらも、私はトマトの苗を植えて、トマトができるだけで面白いと感じるなぁとも思ったり。

発言者との違いは何かと考えると、圧倒的な苗を植える経験の差な気がした。私は、まだまだ苗を植え始めたばかり。だからこそ、トマトの苗を植えてトマトができるという、当たり前の結果であっても純粋に面白いと感じてしまう。その先に+αとして涙がでる経験につながるとか、お裾分けしたらサバがもらえてラッキーだった、とかの経験ができるとなお良し。なんだなぁと。きっと、苗を植える経験をたくさんすると後者の出来事に価値をより見出すようになるんだろうなと思い、早くたくさんの経験をして次のステップに進みたいと思った。

でも。

トマトの苗を植えて、トマトの青臭さを初めてしる感動は何物にも代えがたいし、初めて植えたトマトの実を食べるという経験は二度と味わえないし。今まで経験していなかった分、「初めて」を体感できる機会が他の人よりもたくさんあるんだという良い点もあるのだ。

早くたくさんの経験をして、次のステージの景色を見たい、と思ったりするけれども、今しか見れない景色があることも忘れず、大切に経験していくことが重要なんだよね。

今の私だからこそ見えるものや見えないものがある。それを丸ごと楽しむことをしていきたいなぁと思った土曜日の午前中でした。

っと、久しぶりのnoteがもう抽象的な表現すぎてなんだかなぁという感じだけど、備忘録のために残しておこう。

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