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【週刊フォルケ滞在記】:)2nd week

フォルケも2週目に突入した。
最初の1週間はめちゃくちゃ長く感じたけど、2週目が過ぎるのはかなり早かった。(思い返したら、あれから1週間しか経ってないの?って思うけど)


2週目にして、英語、わかるようになってきました

1週目よりめちゃくちゃ聞き取れるようになった。
クラスでの説明とか、友達との会話とか(まだ4人とかでの会話は全部理解するの難しいけど)3割しか分かってなかったのが、突然8割になった。

もしかしたら1週目で僕の英語レベルを理解した先生が、簡単な英語を使ってくれてるのかな?とも思ったけど、どうやらそうじゃないみたい。

人間の適応力ってすごいなと。

けど、耳は追いついてきたのに口と頭が繋がらない。言ってることはわかるのに、なぜか言葉にするのに躓く。なんで??
漢字が読めるけど書けないのと同じ?

けど、英語を聞けるようになり始めてから、格段に英語の吸収度が上がった。みんなで観たinto the wildも、普通に観れるようになった。
英語で映画とかドラマとか、日本にいた時は全然分からなくて途中で見るのやめてたけど、冷静に考えたら、セリフが聞き取れないのに実際の会話の内容もわかるわけないよなと!当たり前のことをなぜか分かってなかった。

デンマーク国王、日本の天皇と違いすぎてビビった話

デンマークは、実は王国だった。
なんか話には聞いてたけど、タイみたいに道端に金の王様像が立ってるわけでもないし、全然意識してなかった。けど実際、デンマークキング(クイーン)も、年に一回だけ大晦日にスピーチするくらいで、そこまで出番があるわけでもないらしい。

そんなデンマークのクイーンが、大晦日に引退することを表明。
デンマーク人たちはそのスピーチを見るのが恒例らしく、全員驚愕したらしい。

その新キングの就任式を観る会が、生徒によって開催された。
ホールに集まって、ケーキとティーを持って、紙で王冠を作って、スクリーンに中継を映し出して、国旗を飾って、、。

みんなで観た

待ってくれと。
ただ国のシンボルが入れ替わるだけで、なんでここまで盛り上がれるの?

けどそこまで出来ちゃうのが、デンマーク人の愛国心。

もしかしたら、日本の天皇とは役割が違うのかな?と思って色々聞いてみた。けど、ほんとに同じだった。政治的な影響力はないこと。同じ家系が継ぐこと。国の象徴みたいな立場。外国に話に行ったりする。

けど僕は、日本で天皇が代わった時、もちろん元号が変わるから関心は寄せてたけど中継を見るまではしなかった。
僕は(かなり)左寄りなので、日の丸を振って国家を歌って天皇の就任を応援するとかは、さすがに大丈夫ですって気持ち。

けどデンマークの左派政党の政党青年部に入ってる子も、国旗を振って国王にフゥー!って言ってたから、愛国心=保守ってイメージは伴ってないんだなと。

新国王が新女王と市民の前に出てきて、キスをした時の盛り上がりは半端じゃなかった。するのか?するのか?フォー!!っていう間が完璧だった。さすが。

BBCから拾ってきた。

先生が授業を忘れて来なかった時の対応力

アウトドアクラスの初日。20分くらい経っても先生が来なかった。
その待ってる間もみんなで名前を覚えるためのゲームをしてた。

他の先生に確認して、先生が来ないって分かった瞬間、部屋を飛び出してとりあえず森に。
火を起こそう!って誰かが言ったら、それぞれが薪を探してくる。誰かがライターを持ってくる。コーヒーを持ってくる。歌を歌う。

なんか文字にすると普通だけど、これすごくない?
だって最初の授業で、お互いのこともよく分かってないのに、生徒だけでこんなにスムーズに何か始まる?

初日なら、あなたは何したい?とか、何ならしていいのかなとか、これをするのに決めていい?とか、そういう話し合いを僕ならするなあと。
けど、お互いによく知らなくても「反対意見を言い合える感覚」を共有しているからこそ、そんな丁寧に話し合わなくても決まっていくのかもしれない。

「誰も反対意見言わないなら異論ないってことだよね、じゃあ焚き火で。」みたいな。確かに、嫌なことを嫌って言い合える友達とかパートナーなら、このスピード感で決めれる気がする。

けど初日だよ???デンマーク人の共通認識って全然違うんだ。

こっちきてからほぼ毎日焚き火してる

凍った湖に穴を開けて飛び込んできた

次の日もアウトドアのクラスだった。

実はその前の日の晩にアウトドアの先生と夜にソファで話してて、9月にシルケボー(デンマークの田舎町。僕が5日くらいキャンプで過ごした場所)に行ったこととか、教育とか民主主義に興味あるとか、into the wildに感動してキャンプ旅に出た話とか、色々なことを話した。

先生がシルケボー出身だったり、もののけ姫が一番好きな映画だったり、僕と共通点が多くて、話してて楽しかった。

「ホイスコーレはどう?」って聞かれて、「頭の中ではもっと色んな感情があって、思いがあって、考えがあるんだけど、それを表現できるほどの英語力がなくて悲しい。」って答えた。そしたら「はるかはもっと、言葉なんかよりも自分の手を信じるべきだよ」って言われた。

手??って思っていたら、ダニエル(先生)が手を出してきた。
握手をしたら、大きい手でちょっと痛いくらいの強さで握り返してくれた。「言葉よりも手を信じる」って意味が、なんだかわかる気がした。

次の日のアウトドアのクラスでは、寒中水泳をした。

敢えて言葉では表現しないけど、水に入った瞬間、新しい感覚を覚えた。みんなもやってみたらわかると思う

水に入る前に瞑想。「cold is not real」なに言ってんだ。
シェルター。デンマークにはいっぱいあって、気軽に外で野宿できる。

僕のホイスコーレの「ポリシー」と「ルール」の話

始まって2週間が経って、みんな学校に慣れてきた頃にスクールポリシーについての説明があった。

待ってました。教育系の人必見。
こういう学校の方針的なところに、デンマーク教育のヒントがある気がする。

【ルールがほぼない】
まじで2週間過ごして、僕が知ってるルールは3つくらい。
①レイプとかの性暴力、いじめ、暴力etc
②職員と生徒の性的な関係はアウト
③ダイニング(ご飯食べるところ)では携帯NG

ほんとにこれだけ。年齢も人種も文化も全く違う人たちが半年間も一緒に暮らして生活するのに、枠組みを作って問題を抑制するという選択をしない。
なんでルールが少ないのかについては、ポリシーに書いてあった。

【フォルケホイスコーレという”Education”】
フォルケホイスコーレは「民主主義の担い手を育てる学校」だけど、どんなEducation(教育と訳されるけど、なんだかニュアンスが変わってしまう気がするのでそのまま)が中心にあるのだろう。ポリシーには、僕のホイスコーレの教育についてこう書いてあった。

Our school  is a place where people meet across age and cultural divisions, and the meetings between people are absolutely central to our educational culture at the school.

私たちの学校は、人と人とが年齢や文化の違いを超えて出会う場所であり、「人との出会い」は私たちの教育文化の中心です。

実際にインターナショナル生として通ってる身からするとかなり染みるんだけど、多分読んでいる人からすると「まあ言ってることはわかるけど、よく聞く言葉だし腹落ちしない」感じがあるんだろうなあ、と推測。

てことで、次の段落に書いてあった言葉も付け足します。ルールが限りなく少ないことにも共通する内容だったり。

Education and detailed rules for socializing and behavior do not go hand in hand. There must be room to fail, to learn new things and to become wiser.

Educationと、マナーや細かいルールは両立しません。そこには必ず、失敗して、新しいことを学び、もっと賢くなる「余白」がなけらばならない。

と書かれていました。なんとなく繋がるかな。
ルールがない社会で、人と人とが出会ったらもちろん色んな問題が起きる。けど、その問題を話し合って、失敗を共有して、妥協点を見つけていくことがホイスコーレの「Education」であり「民主主義」にとって必要なことなんだよって。
もうこの時点で僕は深いため息をついてた。はああああああ。。。
ここの言語化はもう少し時間をかけながらしたいので、またの機会に。けどもう刺さってる人には刺さってる気もしてる。

【じゃあ問題が起きたらどうする?】
ポリシーには、他にもこんなことが書いてあった。

私たちは以下のことに貢献する必要があります。
・全ての生徒、職員が学校にいることが楽しく、安全であること。
・理解できない、共感できない場合でも、あらゆるギャップを埋めることを促進する好奇心
・自分の意見や行動に対して意義を唱えられることを期待するべきである。

学校の価値観に従う覚悟さえあれば、誰でも歓迎します。

何か問題が起きたときのために、このポリシーを全員の共通認識として共有しておく必要があるんだと思った。つまり、道しるべを共有し、どう振る舞うのか、どんな価値観を大切にするか、どんな学校にしていきたいのかを考えるということ。

デンマークの対話の文化は、ちゃんと言語化して共有されているんだなあと。

【このポリシーは半年ごとに変更される】
ポリシーに関する共有の後、生徒からの質問や提案、反論などをする時間があった。質問はわかるけど提案や反論をする理由は「半年ごとにポリシーを変更する」ことがポリシーに明記されているから。
僕の学校の一学期は半年間。つまり、毎学期ごとに生徒の意見を取り入れながら、どんな学校のカルチャーを作っていくのか話し合っていく。

半年ごとに改善していくって明記してあるってことは、僕たちの声が学校の方針を決める時に大切なんだよって言われてるようなもの。こういう細かいところで、声を上げることに対する自己効力感みたいなところが育っていくのかなと思ったり。

「性的同意」と「バウンダリー」

ポリシーに対する意見に「性暴力って書いてあったけど、性的同意についての共通認識を持つべきなんじゃない?」って声が生徒からあがった。

もうなんなんだ、ここは。凄すぎる。
「性暴力はダメだよね」だけじゃなくて、どこからが性暴力なのかってところをみんなで共有しようとする。

それを聞いた先生は「そうだろうと思って、性的同意についての動画を用意してあるよ」って返答。もう僕は痺れっぱなし。

これはセックスを、紅茶に喩えた動画。
日本語訳もあると思うから観てみてほしいんだけど、簡単に言うと「紅茶欲しい?」って聞いた時に相手が「欲しい!!」って言って自分で飲む以外は、全部無理やり飲ませてるのと同じで、紅茶暴力(性暴力)なんだよって動画。

その後、バウンダリー(境界線)についてもアクティビティをした。お互いに心地いいと感じる距離を探すってやつ。なんかたまに距離感バグってる人っているじゃん?僕あれかなり無理なんだけど、自分のバウンダリーをちゃんと分かって伝えるのって大事なんだなって実感。

まとめ

2週目は、英語がわかるようになってきたり余裕が出てきてたり、頭の回転も「くるくる」から「ぐるぐる」ぐらいになってきた。かなりヘビーな内容と文字数だけど、最後まで読んでくれた人ありがとう。

また3週目もお楽しみに!(実はこれ書き終わった次の日から4週目が始まろうとしてる)

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